2013年1月17日木曜日

ガルパンのサントラを聞くと卒論が捗る件

ガルパンのサントラ買ってた。買ってよかった。金管楽器が多くて雑念が払われて集中力が上がる感じがあって、すごい卒論作業用BGMに最適。捗る。

アニメ見ればわかるけど、全体に金管楽器を使った曲が多い、というか印象に残る。個人的には2枚目のCDのほうの他校のテーマ曲のほうが好きな曲が多い。聖グロのテーマ曲のブリティッシュ・グレナディアーズとか、サンダース戦で追いかけっこのシーンでのM4シャーマン中戦車 A GO! GO!とか。というか各チームのテーマ曲が好き。大洗だったら大洗女子学園チーム前進します!とか乙女のたしなみ戦車道マーチ!とか。というか曲名書いて気づいたけど、CD1枚目のほうの曲ってほぼ全てに!がついてるな。

あとカチューシャのfullとあんこう音頭のfullが聞けるのもよい。

みんなもガルパンサントラ買って聞いて卒論捗ろう。




2013年1月7日月曜日

マインド・タイムを読んで

「ええ、あああ、その、リベットの実験って知ってるかしら」
「いいや」
「ベンジャミン・リベットはアメリカの神経生理学者よ。リベットの実験というのは、こういうもの。被験者に関して測定されるポイントは三つ。体のどこでも良かったのだけれども、とにかくそこを動かそうと決定した時間。そのときは指だった。」
「二点目は」
「指を動かすために、脳が動作の準備に入るその電気的活動が発生した時間。準備電位と呼ばれるものよ。三点目は、実際に指の筋肉が動かされた時間。これらを測定した結果、世界をひっくり返すような事実が判明したの」
「少なくとも、まだ世界は裏返ってないようだが」
「誰も深刻に受け止めていないからよ。だって、被験者が指を動かそうと決意するよりも前に、脳はそのための準備を始めていたんですもの」
「……何だって」
「行ったとおりよ。」指を動かせと意識が命令して、指が動くのではないの。意識が指を動かそうと思うより前に、脳はその準備に入っているの」
「馬鹿馬鹿しい」
「いいえ、残念ながら七〇年代から八〇年代にかけ繰返し追試されてきて、最早動かしようのない科学的事実なのよ。この実験の解釈は様々にあるわ。人間の自由意志を否定するもの。意識は後付で行動を追認または否定しているに過ぎないというもの。それから、それはごく狭い見方に過ぎず、実験は意志決定という巨大なプロセスの全体を測定できていないのだというもの」
「意識は後付で行動を追認しているに過ぎない、とはどういう意味だ」
「たとえば、私が貴方あの頬をつねるとするわね。貴方は痛みを感じるでしょう。でも痛みというのはね、体の部位にもよるけれど、脳に到達するまでにだいたい〇・五秒もかかっているのでも、貴方はつねられた瞬間に痛みを感じているように錯覚する。つねられたと同時に痛さを感じているかのように『感じている』。でもそれはね、脳が刺激を受けた時間軸を編集しているからなの。〇・五秒遅れた世界を、〇・五秒戻してやってから意識に送り込むことで、擬似的なシンクロニシティを作り出しているからなのよ。今現在、なんてものは存在しない。視覚も、味覚も、触覚も痛覚も、その処理速度はばらばらよ。私っちが日々見て、感じている世界の統合された瞬間瞬間を脳内に作り上げるには、コンピュータと同じでそれなりの処理時間が必要なの。それらばらばらな情報をまとめ上げて、あたかも『今現在』とか『この瞬間』とかが存在するかのように錯覚させているのが、私たちが『意識』と呼んでいる機能の一部ってわけ」
「じゃあ、意識は肉体と無意識で出来た自動人形の見ている、単なる夢だっていうことなのか」
「もちろん違うわ。意識は判断し、行動を調整することが出来る。ただ、意識がなくとも出来ることというのは実は多いの。人間は何から何まで意識して体を動かしているわけじゃないでしょう。キーボードをたたく指の一本一本、アスファルトを踏みしめる歩みの一歩一歩。そういうのは単純な例だけれども、でも音楽演奏を初めとする、かなり広範囲の文化的創作行為が、実は意識の介在なしに行われているとする研究は存在するわ」

伊藤計劃:From the Nothing, With Loveより。この中で出てきたリベットの実験が気になって、ベンジャミン・リベットが書いたマインド・タイムを図書館から借りて読んだ。とてもおもしろかった。ハーモニーを読みなおそうと思う。

内容としては、上の引用のように、
・人の意識は0.5秒以上の継続的な刺激がないと「気づか」ない。(タイム-オン理論)
・この「意識」するための0.5秒分の刺激を受けた後、主観的な遡及、時間のさかのぼりが起こる。つまり0.5秒がトリガーとなって0.5秒分時間遡及が起こる。そのため、0.5秒間脳の感覚皮質に刺激を与えている間に手の皮膚へ刺激を与えると、単純にそれぞれ0.5秒ずつ遅れて皮質の刺激→皮膚の刺激の順ではなく、皮膚→皮質という順に感じられる。
・この0.5秒に満たない刺激では人は「気づか」ないが、実は「気づい」ている
・2つのランプが順番に点灯しているうちに脳へパルスの刺激を送り、どちらのランプがついているときに刺激が来たかという実験をする。全く刺激を送っていない時では当たり前だが50%に近い数値であったが、刺激の持続時間が0.5秒以下の「気づい」ていない場合では、推測にも関わらず正答率は明らかに50%を超えていた。
・これは、「おそらく、いかなる種類のアウェアネスも現れないうちに、すべての意識を伴う精神事象が実際には無意識に始まっている」ことを意味する。
・感覚信号に対する迅速な行動、たとえばスポーツなどにおける運動反応は無意識のうちに行われている
・人は自由で自発的な行為の550ミリ秒前に脳は起動プロセスを示す。しかし、行為を実行しようとする意識を伴ったアウェアネスが現れるのは、その行為のたった150から200ミリ秒前、つまり行為を実行しようとする自分の意志や意図に気づく400ミリ秒前に、自発的なプロセスは無意識に起動する。

など。本文中ではさらにどのように意識が脳の中で現れるのかについての考察、自由意志や決定論についても言及している。結構内容的に難しいと思った。しっかり1行1行読んで考えないとしっかりとは理解できないタイプの本。でも、重要なところは太字で強調されてるからそこ流し読みでもおもしろいと思うけどね。実際、読んだけど上の要約のように実験に関してはなんとなくわかったけど、自由意志とか意識的な拒否とかの部分は複雑で新書よむぐらいの感覚で読んでたからわからんかった。もう図書館の期限もくるし難しいね。

意識の遅延は実際に生活していても、お湯が跳ねてかかったときとかで感じるからわかりやすいけど、主観のさかのぼりと無意識、意識が起こる前に無意識に始まっているという部分はやっぱりにわかには信じがたい。けれでも、すごくおもしろい。

無意識の知覚(サブリミナル知覚)ってパソコンでいう常駐ソフトとかバックグラウンドで動いているプログラムみたいなもんだと思った。バックグラウンドでは思考していて、結果が出るとひらめきとして意識上で気づく。アイディアが思いつく三上、枕の上、厠の上、鞍の上みたいにリラックスしてるとそのバックグラウンドから結果が出てくると解釈ができるなーと思った。そのためにバックグラウンドで起動するようにある程度詰め込まなきゃいけないのかなと思ったり。

それこそ、上の伊藤計劃風に言えば「擬似的なシンクロニシティ」に生きているということを「意識」し始めると自分の意識、自由意志についていろいろと思っちゃう。自分の意志、意識とはなんなのか。意識は無意識の後に始まるってその無意識はどっから来るのか。

自分の「意識」について考えたくなる一冊。ただすごい科学的に書かれてて、アウェアネスなど独特の単語があって読み物としては固いし、何より高い(笑)。ただもちろんリベット自身が書いているからリベットの実験がどのようにして行われたのかということに関しては詳細に理解できる。図書館で借りるのが無難か。この本の訳者の下條信輔が書いた新書の「意識とはなんだろうか」も読んでみようかな。



2013年1月6日日曜日

2013年予想

たぶんここ6年ぐらいずっと毎年1月にその年を適当に予想(願望込み)してるんで、今年も書きます。

1. 夏の参院選でねじれ国会は解消するが、かろうじて過半数程度でどう評価したらいいか微妙な状況になる。あと投票率は衆院選並の低投票率。
なんか安倍がまだ何もしてないのに猛烈な勢いで円安に向かってるけど、そのまま制御できないままに円安で日常品の値段が上がって、円安の恩恵受ける前に死にそう。ただ経団連あたりからは円安でよかったよかった的な話も出てきて、もう円高がいいのか円安がいいのかわけわかんなくなる状況になる。で、政治とかもうどーでもいいわーという厭世気分が出て、低投票率。もう安倍は評価できねえよただ衆議院で議席取りすぎたという勢力と自民の組織票で組織票がなんとか勝利。ただ、それで内部から安倍だから微妙な結果になったんだろって声が出始めたら、またストレスで腹壊して年内退陣ありうると見る。

2. tumblrがブーム
twitterでいう08年から09年ちっくな感じになってきたから、ここらへんで一気にtumblr人気爆発あるか。まあこれ以上人増えて、隠れ家的雰囲気がなくなるのもどうかと思ってるから、どうでもいいけど。

3. 大田が6番あたりに定着
同い年だからマジで活躍して欲しい。松井が引退したし、55番の継承者としてそろそろ実力を見せてくれ。成績予想は.250 15 50 ぐらいか。あと橋本もそろそろセンターに定着して。この二人が一軍定着してくれたら優勝できなくてもいいや。

4. ハワイへ出張複数回
確実に1回は行くはず。プロポーザル通して自力で行きたいすなー。

5. なんかよくわかんないけど、2012年と違って平穏に過ごせなさそう
2012年は一応、でかい地震事件とかなく終わったけど、なんか今年はそうはいかない気がする。NHK民放全部それ特集的な何か。気のせいだといいんだけど。

6. 大学卒業します
はい

7. PANSTARRS彗星、ISON彗星が肉眼彗星となって話題に
見たい

8. シャープのに続いてパナソニックあたりが死にかかってソニーあたりと合併。あといろんなところで業界再編が起こる
まー合併は飛ばしすぎだけど、家電とかパソコンとかそこら辺のメーカーは死にそう。この先、日本が何で食っていくのかが見えない。

9. 東アジア情勢は平穏
日中韓と指導者交代で就任いきなりからは飛ばさないでしょ。安倍も麻生から外交と領土は触るなと言われてるらしいから、竹島の日も靖国参拝もやらねーだろ。+やヤフコメあたりからは確実に売国奴土下座野郎とは言われるだろうなー。ただ中国と石原あたりが挑発しまくった時が見ものですな。北朝鮮は人工衛星飛ばしたけど、このあとまた核実験やるかね。

10. アニメのトレンドは去年からのオリジナルと小説の流れ
ラノベと漫画が枯渇したからね、仕方ないね。ビビッドレッドオペレーションは当たるかねー。大正義A1とアニプレックスコンビだから話題にはなるだろうが。逆に京アニブランドがどうなるか。餅屋が微妙だったらジリ貧だろうな。

2013年1月5日土曜日

「きっと何者ににもなれない」とは何か。

冬コミで友人のところに寄稿というか書きたいこと書けよと言われて、ピングドラムの「きっと何者にもなれない」ということについて書いたのでブログにも転載しときます。

 ピングドラム大好きなんで語ります。放映前の「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というフレーズだけで全部見たんだけど、本当によかった。泣いた。一度自分のブログで好きなだけ(読みにくい文章で)語ったんで、それを読みなおしつつまた語ります(ブログで追記:このブログでのピングドラムのラベルがついた記事)。これも読みにくいと思うけど。ピングドラムについての僕の解釈、ってことで。

■ 「きっと何者ににもなれない」とは何か。作中では親から愛されない、捨てられた子どもたちはこどもブロイラーに行き、そこで「透明な存在」になる。親から愛されなくなった陽毬、多蕗はこどもブロイラーに送られた。桃果が多蕗に「私のために生きて!」と言ったように、晶馬が陽毬に「運命の果実を一緒に食べよう」と言ったように、誰かに繋ぎ止めてもらわないと、愛されない子どもたちはこどもブロイラーで「透明な存在」になる。だが、それは作中だけの話ではない。幾原監督のブログから引用する。
あるとき、テレビで見た少女が言った。
「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の二種類しかいない」
ドキッとした。
「選ばれないことは死ぬこと」と少女は言った。 *1
選び選びとられるという関係。人は人を選び、人に選ばれて生きている。人生の最初のステージである家族を除けば、友人として誰かを選び選ばれ、恋人として誰かを選び選ばれ、先輩後輩上司部下として誰かを選び選ばれ、生きている。それが世界との繋がりだ。人との繋がりを通して人は世界の存在を認識し、自分の存在を認識されている。繋がりがなければ、孤島で孤独に生きるということと同じだ。孤島で孤独に生きている人がいたとして、その人を誰が認識できるだろうか。その人は誰を認識できるだろうか。その人はこの世界にはいない、「透明な存在」なのだ。透明では鏡を見ても自分の存在を認識できない。誰かが色を付けてくれなければ、自分の姿ですら見ることができない。他人と繋がらなければ、自分はどのような人間なのかを理解することができないのだ。どんな人間なのかを理解して、何のために生きるのかということを考える。それは世界と繋がらなければ、わからない。
 人生において最初に繋がりを与えてくれるのは選ぶことのできない親だ。親と子どもという関係で親を通じて世界と繋がっている。親の愛情を受けて世界と繋がっているうちに、人は誰かとの繋がりを得る。親が死に、最初の繋がりがなくなっても親の愛情を受けた子どもは誰かとの繋がりを得ているから世界と繋がり続ける。だがピングドラムの主要登場人物、晶馬、冠馬、陽毬、苹果、多蕗、ゆり、真砂子は親の愛を失った子どもたちだ。登場人物は皆、親の愛を誰かの愛を求め、もがいている。世界が、世界との繋がりが、見えなくなりつつある晶馬たちから見た世界は、ピクトグラムの人間が背景の世界なのだ。彼らから見た世界は灰色の世界、氷の世界。輪るピングドラムは親の愛を失った子どもがまた愛を見つけ出し、生きていくという話なのだ。

「きみと僕は、あらかじめ失われた子供だった。でも、世界中のほとんどの子供たちは僕らと一緒なんだよ。だから、たった一度で良い。誰かの愛してるって言葉が必要だったんだ」
「そうね 」たとえ運命がすべてを奪ったとしても、言葉や記憶が消え去っても、愛された子供はきっとまたしあわせを見つけられる。桃果が、ゆりや多蕗に残してくれたもの。それがあるから、ふたりはこの答えに辿りつけたのだ。
誰かとの繋がりによって僕らは自分の存在を認識し、世界を認識している。誰かの愛がなくては僕たちは生きていけない。「きっと何者にもなれないお前たち」というのは、愛を失い、誰かとの繋がりを失い、この世界が見えなくなった人のことを言うのだと僕は思う。自分は何者であるのか。その答えを与えてくれるのは他人である。繋がりを失い、自分は何者であるのかを失いそうになった時に世界に繋ぎ止めてくれるのは、桃果が多蕗とゆりに差し出した手のように、誰か一人のためだけに差し出された愛なのだ。

■ 輪るピングドラムを見終わった後、僕の中で涼宮ハルヒの憂鬱に対する見方が変わった。ハルヒは自分が特別ではないことを知ってしまったから、行動を起こし、SOS 団を作り、自分は特別だと思おうとしてる。納得したがっている。自分は何者であるのか。中学生のころから様々なことをしても面白いことはやってこない。憂鬱だ。世界は灰色で壊すべき世界だった。だが、ハルヒはキョンと SOS 団のメンバーと出会った。キョンとの繋がりによって世界は灰色ではなくなった。「きっと何者にもなれな」かったハルヒは何者かになれたのだ。涼宮ハルヒの一連のシリーズはハルヒから見ると、自分自身が何者であるのかを探そうとし、キョンという特別な存在を得ることで自分が何者であるのか知るという話とも解釈できると僕は思った。

■ とまあここまでgdgdと語りましたが、どうでしょうかね。ピングドラム作中で語られた愛は受け手も大事って話とかオウムとの関連性とか運命と呪いと愛の話とかもしようかと思ったけど、まとまらなくなりそうだからやめた。ピングドラム好きな人はピングドラム小説版と公式完全ガイドブック買おう。藤津亮太のコラムがおすすめ。あと直木賞取った辻村深月が幾原監督と対談してて、その後のコラムも結構好き。

*1 http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417
*2 輪るピングドラム小説版下巻 p232