2012年11月30日金曜日

これが「美しい国」だ はめつへん

生活保護に対しては穀潰し等で煽り、国が定めた「文化的生活」の最低基準にすら嫉妬を覚え、「弱いものがさらに弱いものを叩く」のに、世襲などの特権等には甘い人たち

生まれた時から不景気、政治不信でもはや未来に希望を持てない少数派となった絶望している若者たちに、「選挙に行け。投票率を上げろ」と心に届かない言葉を発する年長者

「国を誇りに思え」とか言うくせに、自らが国の誇りになろうとしない愛国者

絶望した者は犯罪をするのではなく、自れを殺すことで保たれている治安

他人に迷惑をかけたくないという国民性は、その民族内での内ゲバ、そして滅亡への道を選んだ

積極的日本破滅論
http://tgrr-putan.blogspot.jp/2010/07/blog-post_16.html

2012年11月7日水曜日

TeXの表の下に脚注をつける

TeXで表のすぐ下に脚注を、脚注ライン抜きでつける方法。
http://www.biwako.shiga-u.ac.jp/sensei/kumazawa/tex/threeparttable.html
http://www.latex-community.org/viewtopic.php?f=5&t=929
参照。

preambleに
\usepackage{threeparttable}
と書く。表と脚注は以下。

\begin{table}
\begin{center}
\caption{hogehoge}
\label{hogehoge}
\begin{threeparttable}
\begin{tabular}{cc}\hline
1 \tnote{1} & 2 \tnote{2} \\
2 \tnote{a} & 4 \\ \hline
\end{tabular}
\begin{tablenotes}\footnotesize
\item[1] one
\item[2] two
\item[a] three
\end{tablenotes}
\end{threeparttable}
\end{center}
\end{table}

threeparttableのパッケージを導入して、table環境の中でthreeparttable環境始める。普通にtablular始めて、脚注つけたいところ\tnote{}をつける。{}の中身は脚注番号として出る。1なら1、aならa。でtablular閉じた後にtablenotes環境を始めて\item[]で脚注。[]の中身はtnoteと対応づける。あとはthreeparttable環境閉じる。キャプションとラベル、centerは普通と同じ。

表の下に脚注つける方法でググるとminipage環境をtable環境の中で作ってそこで\footnoteでつけることができるってあるけど、それだと表の下のラインにまた脚注ラインが出て美しくない。

2012年9月27日木曜日

マイナスからのスタートの安倍新総裁

安倍晋三が昨日、自民党の総裁に復帰というかまたなったわけですが、悪いこと言わないからやめとけと。安倍はそもそも政策以前に、 ストレスが原因の一つである難病の潰瘍性大腸炎による体調不良で一度政権を放り投げたという悪い実績がある時点でもう無理なんですよ。今度の衆院選では自民が政権復帰かと見られている中で、一度ストレスによって体を崩した人間をまた首相という非常にストレスがかかる役職につけるのかと。いや、本人や信者というか支持者というかサポーターの方々は新薬で完治したと言ってますが、実を言うと僕の母親もこの潰瘍性大腸炎患ってて曰く「完治というのはありえない」と。「一生付き合っていかなきゃいけない病気」なわけです。完治したように見えるのは今の状況においてだからであって、また非常にストレスがかかる状況ではどうなるかわかんないわけです。

どこまで行ってもまたストレスによる体調不良で投げ出すんじゃないかという疑念がつきまとうわけです。そして、次回の衆院選の結果で安倍晋三が首相になり、この潰瘍性大腸炎で体調不良を起こしてまた放り投げた場合、安倍自身の政治生命が絶たれるのはもちろん、自民党はもはや解散せざるを得ないレベルのダメージを受けるであろうと。そのリスクを背負ってまで安倍を選ぶのかと聞きたいわけです。そこまで自民党に人材がいないのかと思ってしまうわけですが。

さらにこの体調面のマイナスとともに、マイナスイメージも大きいのではないかと思っています。
まずは前回の政権運営の時では叩けば埃が出る身体検査の甘さ、投げ出しは国会を開会して所信表明したのに辞任という最悪のタイミングと、もう脇が甘々でした。カツカレー3500円の件ですでにもうネットで真実の方々は「マスゴミの偏向報道」と息を荒くしてますが、マスコミが報道せずともあの衝撃的な辞め方は忘れてない人が多いはずとともに、「マスゴミ」と民主党に絶好の攻撃されることになるはずです。「突然政権を投げ出した人に、また政権を任せられるのか」と。

現状約7割が無党派支持政党無しと世論調査で答えていて、前回の衆院選は「自民にお灸をすえよう(棒読み)」という空気でこの無党派支持政党なしの層が動いて民主党政権が誕生しました。で、今回は「やっぱり民主じゃなくて自民じゃないとダメなのか」という空気が漂いつつあるから次に総選挙やったら自民党政権ができると言われているわけですよ。それなのにある意味「お灸を据えた悪い自民党」のイメージがある安倍がまた総裁になったということは、「自民は反省してないのか」というイメージがつきそうにも思えるとともに、これもまた攻撃の材料を提供していると思うんですがどうなんですかね。

地方票という党員の「民意」は石破だったのを永田町の論理で安倍を持ちだしたのは、またそれもイメージが悪いとともに、地方には不満がくすぶってて政権奪還とかいう前に党内の調整に忙殺されるのではないかと見てます。選挙前に党内がらみのストレスがかからないといいですね(棒)。

まあこんなマイナスが多いからこそ、民主党のほうから安倍新総裁誕生を歓迎する声が出てくるという笑えることになってるわけで。よっぽど政策やカリスマ性などでこのマイナスをカバーしなきゃいけないわけで大変ですね。無難に石破にしておけばよかったのに、国会議員の方々の投票でなんで安倍なのか、庶民の僕にはわかりません(笑)。

結構いろんな人が言ってますが、悪いこと言わないからトップじゃなくて影から操るなり、ブレーンになるなりしたほうがいいはずです。リスクやマイナス面を考えると。個人的には次の選挙、これどうなるかわかんなくなったと思ってます。野田は官僚の言いなりだとよく言われてますが、官僚の言いなりだからこそ鳩山菅のような敵失は期待できない状況で、追い風が吹いているとは言えマイナスからのスタートで次の選挙はどうなるのか、注目です。と他人事のように言って終わります。

2012年9月14日金曜日

天皇が常に上座というデマ

もう派生とかでいろいろとめちゃくちゃにいわれてもう嘘も百回言えば本当みたいな雰囲気になってるですが内容としては、席次は天皇>ローマ法王>イギリス女王>その他的なあれ。あとアメリカ大統領が唯一、敬意を払う3人とかいうあれです。

嘘だから。デマだから。エンペラーとか訳されてるからとか皇帝だからだとかいろいろと言ってますが、基本的には在位期間順で並びます。というより常にトップ3じゃないってことは今年のエリザベス女王即位60周年の時の写真を見れば、そんなのすぐわかることなんですが。
http://diamondjubilee.hellomagazine.com/queens-jubilee/news/galeria/201205181004/windsor-castle-lunch/1/#17
見てもわかるように中央がエリザベス女王で天皇陛下は左端。で中央から在位期間順に並んでるわけです。

昭和天皇時代は在位期間が一番長かったからもちろん上座に座る機会が多かっただけで、常に一番なわけじゃないです。

そもそも国家元首が一堂に会したときに天皇だから上なんてことをしたら角が立つでしょ。外務省のプロトコールのページにもあるけど

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/inspection/protocol.html
イ.序列と平等
国の大小に関係なくすべて平等に扱う
席次に準じた序列(例:駐日大使の序列は、着任順が原則)
誰もが納得するルールに従う

なわけです。もちろん王族等の世襲元首≧大統領という傾向はありますが、同じ格だったら在位期間順なわけ。

そもそも言えば、イギリス女王がアメリカ大統領がローマ法王が天皇に敬意を払っているから天皇に敬意を払うのか? 違うだろ。他国が敬っているから天皇陛下を敬えなんて、侮辱にも等しい行為。

東日本大地震で出したメッセージとか人柄とかいろいろと普通に敬えることがあるのに、無駄にこうやって天皇は一番(その天皇の臣民である僕も一番的思想)とか言って皇室に泥塗るからネット上の自称愛国者って嫌い。

2012年9月13日木曜日

院試の勉強法~合格者がドヤ顔で語る~

 大学院合格しました。総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻と東京工業大学地球惑星科学専攻地球惑星科学科。いやー本当に合格できてよかったです。合格できなかったら9月から就活か本気で筑波山山中で野垂れ死にを考えるぐらい追い詰められてたので。

 ここで合格したという完全に上の立場から来年院試を受ける後輩に自分がどう勉強したかやアドバイスなどをドヤ顔で書こうと思います。気持ちいいいいい。自分が勉強したことや院試での体験振り返ってから、最後にアドバイスでも書こうかな、と。アドバイスだけ読めばいいよ。

いつから勉強したか

院試を意識しだしたのは年明け(2012年入って)から。でも3月ぐらいまではなにもやってないです。ただ3月にTOEICを受けました。実はこれが後々に効いてくることに。3月の春休みに大学院入試問題集(後述)は買いました。でも本格的にやり始めたのは6月から。研究室の同期のやつが院試2ヶ月前にも関わらず、カナダに留学している彼女に会いにカナダ旅行したことで、これは絶対に負けられないと意識してから一気にスイッチが入ったのが大きかったです。あと7月頭に受けた筑波大の推薦落ちたことで本当にこれが背水の陣だと認識してさらにもう一段階スイッチ入って追い込めたのも。

どんな勉強したか

 まず物理と数学について。サイエンス社の大学院入試問題集4冊を買い、

大学の図書館から借りた力学演習と研究室にあった詳解電磁気学演習と微積の演習の授業で使った演習書の計7冊を問題と解答をひたすらにノートに写すことをほぼ5周。+8月あたりから青木定雄 光学入門を少しかじる程度。

6月という2ヶ月前になってやっとスイッチ入ったので時間的に間に合わないだろうということで統計力学と量子力学はほぼ捨ててました。ただこれはある程度根拠のある博打で、まずそもそも総研大天文と東工大地惑においては物理の分野においては過去問を見る限り、ほぼと言っていいほど統計力学と量子力学は出ておらず、量子力学が出たとしてもトンネリング、ということで捨ててもいいと判断してました。その代わりに2大学とも光学の問題が出ることがあるので光学は演習大学院入試問題なり光学の本を読むなりして対策を立ててました。
 あと、傾向的に今年はケプラー問題と電磁波が両方で出ると予想してそこ張ってました。結局張ってたのは当たってたんですけど、やり込みが足りなくて完答できなかったのが悔しいというか自分の勉強不足を実感することとなったわけですが。
 あとまあはっきり言っちゃうんですが、問題は「解いて」ないです。解答を「覚える」ようにしました。これ高校のときの物理の教師、というか恩師なんですが、に大学受験の時に言われたことで、物理で点数取りたいだけならもう問題の出題パターン全部覚えろと(期末テストや理科大ぐらいまでの中堅までの話)。お前らのない脳みそひねったってその場で解けるわけがないんだから予め解答を覚えるしかない、しかも大学受験の物理の出題パターンなんて限られてるんだから、と。大学受験はACでさっさ受かっちゃったんでやらなかったんですが、院試では時間なかったんで理解とかすっ飛ばしてこれやりました。やり方としては問題を1回写すごとに一を書いて正の字を作るまでやれ、もしくはもう覚えたらチェックつけてもうその問題は二度と解くな、ってやつです。これでやりました

 これで6月からのほぼ2ヶ月で大体30ページのノート20冊を仕上げました。↓の写真ね。

 英語に関しては東工大はTOEICスコア提出だったので3月に受けたTOEICのスコア提出のみで100点取りました。730で100点換算のところ740で提出できたのでこれはでかかったです。物理と数学受ける前から500点中100点確保してるわけですから。総研大は英語があったわけですが、iknow!という昔smart.fmだったところに課金してひたすら単語覚えました。課金し始めたのはまあ2週間前だったけど、昔無料だったときにやりまくっててある程度単語を覚えてました。これ書いていいのかわかんないけど書いちゃうと、総研大の英語はnational geographicとnatureのコラムでの長文読解と読売新聞の金環日食時の記事の一部の英訳。

志望理由書など

これもしかしたらみんな舐めがちだけど、結構書くのに力入れました。やる気アピールみたいなもんなので、ここで差をつけないと実力ない僕はだめだ、とは思ってので。願書提出時に出すわけですが、願書提出始まる1週間前までに確か草稿から最終稿までなんども推敲してました。
 筑波も含めて3つ出したわけですが、なぜ大学院に行きたいのか、なぜその分野に興味を持ち、研究をしたいのか、なぜその大学院に進学したいのかの3本柱を意識して全部書きました。まあACで入学したのでこういうの書くのは得意ってのも大きかったです。
 僕はすばる観測実習なりそういう天文系のイベントに参加してたので、自分が大学院に進むためのストーリーというかそういう道筋みたいなのが話せるというのは強みでした。~に参加した→そこで研究の楽しさを知ったみたいなストーリーね。2年とかでまだ時間ある人はこういうイベントに参加しておくと後々困らないかもね。

面接とか

 東工大のときは凵状に先生方が並んでて被告人席みたいな感じで座って志望した先生からの質問に答えるという形式でした。質問内容は筆記試験の結果はどうだったか、勉強はどのようにしたか、志望理由、博士課程に進む気はあるか、他に大学院受けているところは(任意)だったかと。
 総研大は記者会見席というか自分1人前の席に座っていろんな先生からの質問を答えるという形式。質問内容は志望分野の志望理由、自分の長所、この分野は世界中で競り合ってるけど自分のオリジナリティというかアイディアはあるか、筆記試験の出来、クイズみたいななぞなぞ(答えられなかったら入学して半年学んだらわかると言われた)、志望指導教官がバッティングしてるけど教官を変える気はあるか、質問はあるか、他にどこの大学院を受けているか。
 時間は東工大が大体10分ぐらい、総研大は15分ぐらいだったかと。当たり前かもですが、両方ともスーツで面接は受けました。東工大は内部っぽいやつは私服だったけど。東工大で内部のやつには「どんな質問が来ると思った?」という変わった質問も来たっぽいことが控え室で聞き耳立ててたら聞こえました。
 あとこれ余談ですが、両方の面接で教員の人たち笑わせました。東工大のほうは「筆記試験の出来はどうでしたか」という質問に対しての答えの中で、「舐めてたわけじゃないですけど、もっと勉強すればよかったです」という答えの「舐めてた」の部分で先生方笑ってました。たぶん苦笑い。総研大は「他に受けている大学院を教えて下さい」ということに対して「東工大の地球惑星科学」と答えたら「筑波は受けなかったの?」と聞かれ、「東工大と日程かぶったんで受けられなかったんです」と答えたら、司会の先生が「あーじゃあこれ○○先生(志望した先生)の責任重大だ」って言ってみんな笑ってました。

勉強法のアドバイス

 自分の物理の後輩と天文に進む後輩を念頭に置いて書きます。とりあえず現時点、院試まで1年から半年ぐらいまであるという状況を想定してます。ちなみに僕みたいな邪道じゃなくて正攻法でね。たぶん理想論。あと後悔したこととかも書くつもり。
 まず何から勉強したらいいか、の前に当たり前ですが行きたいところの過去問を出来るだけ見ましょう。どこの分野からどんな問題が出ているか知るということがまず大事です。で実際に過去問が解けるかとまではいかなくても解法が思い浮かぶどうか。現時点で問題が半分以上解けるなら勉強する必要無いです。たぶん普段から勉強して実力ある人なので、院試2ヶ月前の6月とかから過去問解いて慣れて受ければ普通に筆記は受かるでしょう。で、まあ僕みたいに現時点全く解けないと。全部勉強しなきゃいけないという人に対して。
 時間のかかる順と出題頻度を考えると物理志望なら統計力学、微積、線形、物理数学を先にやり始めるのが個人的なおすすめ。特に統計力学は僕自身が苦手だったってのもあるけど、物理学専攻というとこなら間違い無く統計力学出るので用意しましょう。得意ならいいんだけど。天文志望になるとまた話が若干変わってきて、統計力学量子力学の比率が落ちて力学が出る確率が上がります。
4年に上がるぐらいまでは自分の不得意で頻出の分野を優先しつつ、過去問で出てる分野の演習書や教科書を(理想でいうと)5周ぐらいして仕上げたい。まあ5周しなくても普段から勉強してる人なら2周ぐらいで大部分はカバーできるだろうけど、僕みたいにできない人は覚えるか完全に解けるまでね。で、演習書選ぶ時なんですが、もちろん過去問を見て同じような問題が載ってるやつを選ぶこと。あ、ただこれある程度まともに授業受けててやれば思い出すレベルからだから、本当にダメならまだ時間あるから入門書というか易しいの1冊先に仕上げたほうが後々楽かも。で、過去問や演習大学院問題集やるわけですが、これ上でアフィリンク貼っておいて言うのもなんですが、演習大学院入試問題は「買わない」ほうがいいです。あれはっきり言うと、誤植とか間違いが半端なく多いんで、理想は研究室とかに置いてある先輩の訂正が入っているお古をもらったほうが捗ると思います。
 
 で、目標ですが院試1ヶ月前には過去問が解けるレベルを目指しましょう。それができればまあ上の勉強法なんか無視していいです。ちなみに僕は1ヶ月前でこれいけるんじゃね…?ぐらいでした。

 書くの忘れてましたが英語ですね。これが実は厄介で英語って著作権の関係から過去問公開してないとこ多いんですよ。僕が受けた東工大地球惑星のように英語の試験なくてTOEICのスコア提出ってとこも(稀に)あるんで、12月、1月ぐらいにはTOEIC1回受けておいたほうがいいかな、と。社会系の英語力要求されるところでも800以上取れば100点換算されるので800目指しましょう。800は無理って人でも上で書いたようにnational geographicやnatureのコラム(もちろん英語)を読んでそれを理解できるレベルにはなりましょう。たぶんですが、ナショジオとnatureとあと普通の論文をスラスラと読めるんなら英語勉強する必要ないと思います。

 あと地味にですが志望理由書。これ大事です。むしろこれ書いてる時点ではまだ就活始まってないんで今一度、「なぜ大学院に進むのか」「なぜこの分野の研究をしたいのか」について考えて答えを出してみましょう。ここをはっきりしておくと面接の時とかに詰まらなくて済むと思います。

院試勉強が辛いときに支えられた言葉とかプレッシャーとか心構え的なとかあと感想みたいな

「勉強量と不安は反比例する」
これは本当。すばる春の学校でM1の方から言われた言葉。やればやるだけ自信がつきます。不安なら手を動かして勉強しましょう。先にやり始めたもん勝ちです。

同期のライバルを想定する(できれば他大のやつ)、仮想敵を作る
同期で同じ分野進むだろうとわかってる人がいたら、もし自分が気を抜いているときにそいつが歯を食いしばって勉強してると思うと気が抜けません。あとそいつに抜かれたら非常に悔しいので。同じ大学のやつだとダメな部分も見えるんで、仮想敵を作るなら他の大学のやつにしましょう。

「院試受かったらお前ら後輩にドヤ顔で勉強法説教してやるよw」と後輩に宣言する
このビッグマウス効きます。実際にサークルの後輩に言いました。受かればまあまさに今このようにドヤ顔しまくりなんですが、これだけ言っといて万が一全部落ちて行き先なくなったら恥かくとかいうレベルじゃないわけですよ。落ちたら間違い無く向こう10年ぐらいは「昔さあ、ドヤ顔で後輩に院試受かったら説教してやるとか言いながら院試落ちた先輩がいるんだよwwww」って言われます。まあそれは必死で頑張れるわけ。とりあえず強気強気で言いまくって、自分にプレッシャー与えましょう。言霊じゃないですが、弱気厳禁で。これ勉強するモチベーション出ない人におすすめ。

「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の2種類しかいない」「選ばれないことは、死ぬこと」
これピングドラム監督の幾原邦彦のブログにあった言葉(http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417)で、基本的にはこれ思ってました。まさに負けたら、選ばれなかったら死ぬしかないという院試2ヶ月前あたりからは本気で思ってて、相当思いつめてました。

これで院試受かんなかったらスパっと就活するか(ブラック一直線)、冒頭に書いたように死ぬかと思いつめてました。院試浪人は全く考えてなかった、というかここで必死こいて勉強できないようならそこまでして大学院進む意味は無いと心の奥底では思ってるってことでしょ、ということと院試ごときで落ちるんなら大学院行っても研究できる才能がなかったんだな、ということを思ってました。まあ完全に背水の陣ですね。

あと、研究者になりたいとか受かりたいとかの願望はもう甘え。松坂大輔とかいろいろアスリートが言ってたと思うんですが、夢はかなわないと。やるんなら目標、絶対に自分はできるという強い意志が必要みたいな言葉。

はっきり言えば院試の勉強の辛さは今後の研究での辛さのデモンストレーションだと思ってます。自分を信じて努力できない人に新発見なんかできないでしょ。

最後に

まあここまで散々ドヤ顔で言ってたわけですが、いろいろと。実際受かると嬉しいんですが、それととともにここからが本当のスタートなんだな、と今思ってます。不遜ですが、自分の才能というものが本当にあるのか、それを大学院で確かめたいと思います。同じルート辿っためちゃくちゃできる先輩が6つほど上にいるんで、その先輩を目標にするとともに、自分が後輩たちの目標となりたいな、と思ってます。とにかく実力、実績で全てをねじ伏せられるような大学院生になるよう精進します。

追記(2013/09/11):
この記事のページビュー数が2万に届きそうで驚きました。あと、同期の後輩がなんかこのブログ読んで(それがきっかけかどうかは知らない)が受かってもし進学してきたら同じ部屋になるというのも驚きました。というか笑った。

2012年9月9日日曜日

努力するやつは勝てない

努力するやつは勝てないと思う。はっきり言うと、勉強とか努力とかしてしまう時点で負け。もう絶対に努力を努力だと思っていないやつには勝てない。

僕自身が怠惰なんで、努力しないで結果出すのが一番いいと思い込んじゃっている。あとベースとして結果=才能×努力というのも思ってるから、努力する=才能がないというのも。

でも実際は、できる才能あるやつほど努力してる。才能があるという言葉は、努力の仕方がうまい人のことを言う。努力を苦しいものと思ってるやつは、(他人から見た)努力を楽しんでいたり当然と思ってるやつには絶対に勝てない。

好きな文章を引く。
私は高3です。今年野球部を引退しました。
小5から野球を続けていましたが、決して上手くはなかったです。それでも、努力すれば結果が必ず返ってくると信じてやってきました。
結局、最後まで結果は残らずに終わってしまいましたが、粘り強さと根性を…
と、これは面接のときに言う台詞にしか過ぎません。私が本当に欲したのは野球の上手さです。実際に、私と同じような人は大勢います。その中でも、結果が残る人はわずかです。そういう人たちを基にした話が、「やればできるんじゃないか」という気にさせてくれるのだと思います。しかし、私は本来欲しかったものに手が届かなくて、悔しさと虚しさでいっぱいでした。この記事を見て、省みさせられました。
しかし、私は研究者になるために大学へ行きます。研究者は自分の論文が評価されなければやってけない仕事です。そこでまた挫折を味わうかもしれません。むしろ、そうなることを確信しています。自分は、呼吸をするように勉強をしている人間ではありません。そういう人間には足下にも及ばないでしょう。
それでも私は進みたいと思います。根拠は、生き物らしく生きるためです。私がしたいことをしたいからです。この考えはバカで無謀で愚策かもしれません。でも、バカっていうのは悪いことじゃない気がします。「バカだな俺は、どうしてこんな道選んだんだよ」というのが私の夢です。運良く成功したらそれとなく喜びます。
なんにしても、難しいフィールドで競争することが人間、いや、生物にとっての淘汰であり、人間が生き物らしく生きるための「生存戦略」であると思います。

私は、きっと何者にもなれないということを、わかった気でいるのでしょうか?

「きっと何者にもなれない」者だから、努力をしなければいけないのかもしれない。

2012年9月8日土曜日

日本社会における地位の非一貫性について

メディア社会学という講義で書いたレポートですが、我ながらよく書けていると思うので多少文章の接続あたりを手直しして置いておきます。テーマはタイトルの通り。


 日本は地位の非一貫性のみられる社会であり、欧米諸国より日本は非一貫である程度が高いようである。近代社会では建前上は、学歴あるいは能力によって、誰にも上に行くチャンスが開かれているが、学歴が実際は世襲の隠れ蓑に使われるというのがブルデューの指摘である。財産面での地位の非一貫性の理由として相続税で多く持って行かれることで階層再生産の循環は断ち切られ、教育投資で残すということになる。が、終身雇用により大企業の高卒が中小企業の大卒より生涯収入を上回ると言うことがあるように、学歴が終身ストレートにいい就職や収入につながるわけではなく、単にそれらのチャンスが増えるというだけである。日本の地位の非一貫性の大きな原因は、職業や職業上の地位に伴う収入の格差の相対的な少なさが、根本的な原因としては大きいものと思われる。地位の非一貫性のメリットとしては国民統合が図られ、平等意識が広まり、社会の不安定要因が取り除かれる、ということがある。デメリットとしては階級意識、階層意識の欠如、職場、過程と言った場以外での規範、行動様式の曖昧化、平等があるゆえの嫉妬心、目に見えない形での不平等に対する感覚が鈍くなる、などがある。日本の労働者は「労働者階級」として自己意識する傾向が弱く、自分を「中」として規定しようとする。持ち家志向も無理してでも家を持てば「中の下」になれるという思いがあり、また子どもの学歴をよくするということで地位上昇を目指していた。


地位の非一貫性のある社会の、社会としてのメリット、デメリットについて
・メリットについて
世襲で地位が決まるのではなく、その人自身の能力により地位が決まる、つまり能力主義が徹底される。それにより、社会において階層が固定化することへの不満がなくなり、社会が安定すると思われる。また、様々な人が混ざることによりマンネリ化が打破され、新しいイノベーションが起こるのではないだろうか。

・デメリットについて
 階層が固定されないので階層に対する意識が低く、規範が曖昧になる。成金が金にものを言わせている様がよく言われる例である。富裕層においては貧しいものへの再配分をするのが規範であったり、ノーブレス・オブリージュのような「持てる者」の規範であったりが成金には受け継がれない。また、下に位置する人はその地位に甘んじているのはその人の能力によるものだと思われ、下位層に対して軽蔑など社会から疎外される。建前上は誰でも地位を変えることができるはずだが、それを隠れ蓑にして世襲が行われ、支配階級の支配の永続化が図られ、支配の正当化、「持てる者」は絶対的に偉いということが起こりうる。


 日本の地位非一貫性ということにおいては世襲がなされているか否か、ということがポイントとなる。国会議員の世襲については報道されることが多い。世襲となる議員の数は衆議院で現在86人[1]であり、約5分の1は世襲議員となっている。また、企業などでは同族企業で社長・会長を同じ家から出すということがある。世界的企業トヨタでも創業家豊田家から社長が出ている。伝統分野においては世襲は多くなり、歌舞伎が何代目襲名などで有名である。このように世襲は多くの分野で見られている一方、高度成長時代においては地方からの上京し、農家の息子からホワイトカラーとなった例が相次いだ。

 日本の地位が非一貫性である、というのは高度成長時代において地方から上京し、ホワイトカラーとなったという例から考えられているのではないか。江戸時代に士農工商として固定化され、明治維新以降においても貧しさから地位が固定されてきた農民層が、高度成長時代においてホワイトカラーとなった例から日本の地位は非一貫性ということが導かれていると私は考える。高度成長時代においては産業のシステムが大きく変わり、ホワイトカラーが多く求められ、そこに農民層が転向し、結果として地位が大きくシャッフルされたのではないだろうか。


 戦後の日本は地位非一貫であるという幻想を抱き、平等神話を信じてきた。が、それは経済のパイが拡大することによってであったり産業のシステムが変わったりであったりによってであり、それらの時期を過ぎれば貧困の再生産や富める者は子も富める者のように地位が固定されていく。

 社会のシステムが安定している時において世襲は行われやすくなる。同じ能力であってもスタート地点が違えば結果として地位が固定される。400年も平和が続いた江戸時代は究極の世襲社会である。

 逆に社会が変革するときにおいては下克上など完全な実力主義となる。明治維新であったり戦後の復興であったりはまさにその例である。変革している社会においては世襲させようとしている親は旧世代であり、その親によるアドバンテージはほとんどなくなる。

 結局のところ、地位非一貫というのは社会の安定というものがキーになっていると私は考える。社会が安定していれば世襲が行われ、地位が固定されていく。逆に社会が変わっている時であれば、世襲が意味をなさず、地位の非一貫になる。日本が地位の非一貫社会であるという幻想は高度成長が成功したことによる成功神話なのである。

[1] http://www.shugiingiin.com/ses.html

2012年9月5日水曜日

「優しい人」は「優しく」ない

 妹がそうなんですが、いわゆる「いい人」や「優しい人」の大多数は心の中にどす黒いものを持ってると思ってます。外面よくて内弁慶な妹が「~には~してあげたのに」とか「~が~をする理由がわからない、馬鹿なの」とか家でよく愚痴ってることが多いせいだと思うんですが、「いい人」「優しい人」って「~してあげたのに」ってことを大なり小なり思ってるはずじゃないんすかね。

 でもそれって結局のところ、「いい人」「優しい人」がやってることが本当の優しさじゃないってことなんだと思うわけです。いわゆる「いい人」や「優しい人」ってのは、他人に対して寛容で他人のために何かしてあげられる人のことで、例えば困っている友人がいたら助けてあげるような人のことをそう言ってるわけです。でも、もしその友人が助けて当然だとか礼を言わなかったりしたら、その「優しい人」は絶対後で愚痴を言うわけですわ。「あいつのために助けてやったのにあいつは礼の一つすら言わねえ」と。そこで友人の縁切ろうがまあどうでもいいわけですが、やっぱりそれは感謝の言葉という形で見返りを求めてるわけなんですよ。

 togetterのどっかのまとめであった喩え話で好きなやつなんですが、あなたは空腹で死にそうな状況におかれています。その時におにぎりが目の前に1個あります。近くには同じように空腹で死にそうな状況におかれている人がもう1人います。「優しい」あなたならもちろんそのおにぎりを半分にしてその人に半分わけてあげるでしょう。でも、わけてもらった人は礼も言わずに立ち去ってしまう。そうしたら完全にバカを見て、愚痴るわけです。「あんなやつに貴重なおにぎりをわけてやるんじゃなかった」と。

 でも本当の優しさってのは、そこで相手も同じように空腹で苦しいだろうから、もし自分が分けてもらえたら嬉しいだろうからと自分が「勝手に」思っているから、空腹で死のそうな状況でもおにぎりを半分にしてわけてあげることができる気持ちのことを言うと思うんですよ。そこには相手からの礼とか見返りとかじゃなくて、もし自分がしてもらったら嬉しいからというただ自己満足のみがあるだけ。だからもし礼を言われなくても、相手は嬉しくなかったのかなとかまああれは自己満足だったからと愚痴らないわけです。ネットでの伝聞レベルがソースなんですが、国境なき医師団の人も「好きだから」「自分がやりたいからやってる。そうじゃないとできない」と言ってるらしいです。

 いや別に見返りを求めてても、偽善だろうが他人のために自己犠牲できることは優しさじゃないのかと思う人もいるかもしれません。けどそれは「優しさ」じゃないです。打算と言います。もちろん自分のやってる行為が打算とわかった上で偽善を行うのは別に止めないし、なんとも思わないですが、ただの打算を優しさと勘違いするのはやめていただきたい。

 さらに言うと打算ではないけれど、他人から嫌われないために人に「優しく」してる人。そんな他人に対して我慢しすぎてどうすんの。まあ妹がこのタイプなわけですが、程よくガス抜きできないと「私はずっと我慢してるのにあなた達はわかってくれない」的なことを言うわけです。面倒くさいですね。はっきり言うと、他人の気持ちなんて絶対にわかるわけがないんですよ。よく~だったら、とか言って他人の気持ちを理解できるエスパーがこの世には多く存在してるようですが、そんなのは幻想に過ぎません。他人とは完全にわかりあうことなど絶対にないし、もしそうだと思ってるならそれば自分のエゴに過ぎない。自分は我慢して他人に優しくしてるとかいうオナニーをした挙句の果てに、私の我慢をわかってくれないなんて爆発するのは迷惑すぎるんで、さっさとその自称「優しさ」はやめてください。

 大体日本ですら1億人もいるんだから別に目の前のやつに嫌われてもいいじゃんと僕は思ってます。他の1億人がいるし。そいつとはそりが合わなかったんだからしょうがないと割り切ってます。さらに言えば日本中の1億人から嫌われても全世界には先進国に限定しても10億人ぐらい人はいるんすよ? 文字通り「人がゴミのよう」なくらいいるわけですわ。いやもちろん目の前の人に対するリスペクトは必要ですが、目の前の人にこだわる必要もないわけです。嫌なやつとも付き合ってかなきゃ…とかいうけどじゃあ環境を変えればいいわけで、変化することができないのは甘え。

 結局、「優しい」とか言っているけど、大半は打算か甘えなわけですよ。優しさというか他人に好意からしてあげる行為に対しては、それが自分がしたいからしているという自覚が必要だと僕は考えています。

 たぶんこんなん書いちゃうのは輪るピングドラムが大好きな影響。好き嫌いはっきりわかれるとおもうけど、みんな見よう(ステマ)

2012年9月4日火曜日

東京にオリンピックを誘致することによる都市の再開発

東京に2020にオリンピック招致するのかとかについての所感というか思ってることについて。

オリンピックを招致する目的は実のところ東京の再開発のためじゃないか、と思ってる。というのも1964から今年で48年。1964年の時の東京オリンピックを契機に立てられた首都高のインフラがそろそろ老朽化が気になってくる年代。公共工事の予算が減らされている中で、都市の道路等のインフラを更新するためにはオリンピックという大義名分の下でしかできないのではないか、と。

http://www.pwri.go.jp/caesar/overview/02-01.html
にもあるように、1960年代に整備された橋などのインフラはこれから更新などが必要な時期に入ってくる。本来であるならば、公共工事の予算を増やしてこれらを更新するなり、予算が増えないのならばこれからの人口減少へ向けてどれを更新してどれを捨てるのかの取捨選択を行わなければいけないわけ。

で、東京。東京の問題は首都高と建物の過密化。首都高は老朽化とともにあの突貫で作ったあのジェットコースター道路。地下化するなりして首都高の流れをよくするように建て替えるべき。三環状が出来ればまた違ってくるのかもしれないけど。

それとともにお台場の活用。お台場はまだまだ土地余ってるんだから、そこに都心中央からいろいろと引越しさせて都心を空けて、再開発なり公園にするなりして近い将来来るであろう首都直下型地震への備えをするべき。

まあこの2つはオリンピックがなくてもやらなくちゃいけないことだと思ってるけど、オリンピックという大義名分がないと予算がつかないだろうな、と思う。

2012年9月1日土曜日

声優の芸能人化が行き着いた先のココロコネクト騒動

ここ数日ココロコネクトでのいろいろな騒動が話題になってるわけですが、これを聞いた時に思ったのは声優が芸能人、芸人化として行き着いた結果起きた騒動なのかな、ということ。わかんないひとは「ココロコネクト いじめ」あたりでググって。

はっきり言ってしまえば、今回のドッキリのレベルとしては電波少年とかであったバラエティでのドッキリのレベルでしかない。昔のドッキリはもっとやさしかったとか言ってるバカがいるけど、それこそ電波少年での猿岩石のヒッチハイクのレベルに比べれば、マシなレベル。まあ賢い方々はそこら辺わかってて、声優とか夢を追ってる人にそういうのをやらせるのはひどいという論調で非難してるわけ。

しかしだ。そもそも声優にドッキリを仕掛けて広報をさせるなんて企画が持ち上がって通ったのは、声優をアニメのスタッフの一部として見るのではなく、芸能人として見るのが主流となってきた空気があることが原因じゃないのか。声優がアニメで声をあてるよりもトークをやったりライブをやったりと、声優が前に出てくることをファンが望む空気があったわけじゃん。制作側から見たら、ファンが声優が出てくるのを望んでる上でさらに話題を集めることとして、声優が広報をするという考えの結果でしょ? ファンが声優が演技だけじゃなくて、前に出てきてライブだったりアイドル活動だったりトークだったりのプラスを求め、むしろ本業の声優以外の方がメインになってるんじゃないか。アニメに声をあてている人が声優ではなくて、声優がアニメに声をあてるとして見てるやつが多いんじゃないか。だから発表当時は全然話題になってなかったんでしょ。ドッキリがなかったとしても、「夢を追ってる」声優にただの広報担当させるなんてひどいなんて話題になってないんだろ? それがもう明確とも言える証拠。大多数の(声が大きいからそう見えるだけかもしれないが)ファンはもう声優を「声で演技する役者」としてではなく、「声優本人」に興味が移ってるんだよ。完全に芸能人。アニメのスタッフ、裏方として見てはいない。

いやまあ昔から声優を推すってのはあっただろうけど、アニメで声優を知らないやつがファンじゃないという空気は強まってきていると感じる。アニメの~が好きだったら中の人のことも必ず知ってなきゃファンじゃないって流れになってきてるでしょ? たぶんだけどオタク趣味の裾野が広がる時に「お前ニワカだろ」への対抗策として声優が持ち上げられてきた結果じゃないかと思う。

今回の騒動、企画したプロデューサーと声優の事務所のマネージャーで話がついてて本人だけが知らなかったって話だろう。企画側から見れば売れない声優に仕事をやってるぐらいの感覚。テレビと制作側から見たら「代わりはいくらでもいるんだよ?」って話。声優も芸人のようにお前がやらなくても汚れ仕事をやる他のやつはいるんだよ? のダンピング状態。有名じゃない声優は、声の演技以外の部分で名前を売るしかない状況。

もういい加減声オタの大きな声を聞くのはやめろ。実際には声オタが少数だとしても声オタの声がネットでは非常に大きいから結果として声優が前に出てくることを望んでるファンが大多数に見える。別に声優がライブやろうと、そのライブに行こうと構わないけど、声優=アニメという図式は崩せ。まあこれはアイマスにもそろそろ言えることなんだが。アニメのスタッフの一部、黒子という本来の位置に戻ろうよ。

声オタは声が大きいし、リターンもでかいけどこないだの豊崎愛生の騒動にもあったように、万が一炎上した時の悪評の広まる大きさを考えるとリスクが大きいだろ。制作側も考えなおせ。声オタに限らずだけどオタクって粘着質だから数年は2chとかで話題になるたびにコピペが貼られるぞ。今回のだってもう担当したプロデューサーと声優が他の作品出ても、今回の騒動のコピペや話題で占められるのがオチ。悪評やイメージダウンが大きすぎ。

声優嫌いじゃないし、アニメを見る上でファンが勝手に声優に注目するのはいいけど、公式や制作側が声優を推す流れはもう勘弁して下さい。

2012年7月8日日曜日

正義の味方づらしたクズども

何が気分が悪いかって、滋賀いじめ事件の加害者特定とかの一連の件。いじめ本体と教育委員会とかの対応については散々いろんなとこで言われてるんでいいです。問題は加害者特定の名前を嬉々として広めたりしてるクズども。

 加害者特定とか完全に正義ごっこの自己満足でしかない。我に正義あり、とクズ野郎どもが叩いてるのが反吐が出るんだよ。あ、ここでいじめの再生産とかいうのはもっと頭のいい方々が言ってるので、特にそこら辺はいうつもりないです。

 完全にルサンチマンの発散のための正義ごっこ。絶対的な悪を懲らしめる、正義の味方という自分に酔ってるでしかない。twitterで前に閉塞感半端ないから生け贄を「空気」が欲しがってるってpostしたけど、まさにその通り。閉塞感漂うこの社会に不満はあるがどうしたらいいのかわからず、そのもやもやした気持ちを、たぶん今回のいじめ加害者特定で絶対的な悪、絶対に見下せる存在が出たってことで、発散してるんだろ? 

 一人の少年の死ですら、コンテンツとして消費されてるわけですわ。さらに言えば、今回の件では担任と別人の名前と経歴が勝手に晒されて犯罪者呼ばわり。無能無能アンド無能。無能な働き者は最初に殺せとはこのことを言う。

 第一、名前を特定されたのをただ拡散するだけの、お手軽正義ってあたりも最高にクズ。名前が出れば、住所が出れば、それが抑止力になると思ってるのか、そうか。それは学校で面と向かって、相手がこちらの名前と住所知ってる状況では、自分は手を出せないと言ってるのと同じなんだよ。お前らは正義の味方ですらなくて、いじめの共犯者に近い無言の傍観者だ。そうだよね、いじめてる相手を止めようとして、相手に逆恨みされてネットに名前と住所を書かれたら怖いからね、仕方ないね。

 結局、今ネットで加害者連中の名前と住所を拡散してるような連中は弱き者なのだ。目の前でいじめられてるやつを助け出せず、加害者の名前を特定することでしか正義の側に立てないのだ。

 僕は彼らに対して怒るとともに、哀れみの感情が湧いたのだった。2曲、歌詞とYouTubeのリンクを貼っておく。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く
その音が響きわたれば ブルースは加速していく
見えない自由がほしくて
見えない銃を撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ


戦うべき「悪」は自分の中にいるんだと
「世界」のせいにしちゃダメだと僕はそう思ったんだ

2012年6月25日月曜日

アイマスは緩やかな死を迎えるのか

昨日一昨日とアイマスの7thアニバーサリーのライブがあったわけですが、申し込みの抽選で落ちたわけで行ってません。でまあ、ネットからいろいろと情報を収集してたわけですが、どうやらライブでの発表は事前にファミ通あたりの雑誌からのリークでライブ前にわかってたPSPでの新ゲームとそのゲームにアニメが1本つく、漫画が何本かスタートするというものだそう。個人的には2日目の発表で小鳥さんが中の人が子供産んだし、育児休暇としてお休みするという発表があるかな、と読んでたけど、まあなかったわけで。

ここ4年ぐらいのライブで3rdだと美希移籍とSP発表、4thのDSという新キャラの投入、5thの2の発表、5thと6thの間にあった新年ライブでのアニメ化発表に比べたらかなり地味というか6th以降はこれまでのような驚きの発表というのがなくなったね。アニメは2制作と同時に準備してただろうから、2発表以降は無難路線とも言えなくもない。

これが、坂上か石原どっちかが言ってた「アイマスを好きになったり嫌いになったりしてください」の言葉のとおりに、2で一部のファンが先鋭的なアンチに転向して、あまりにも嫌われすぎてるのにビビって無難なものしか出せなくなったとしたら笑える。お前らが嫌いになれって言ったんだろw

で、こっからが本題なんですが、twitterの#imas、#imas7thやmixiのアイマスコミュニティの掲示板とか見る限り、ライブは最高だったって声は沢山あるんだけど、新作ゲームが発表されたのにも関わらずそれに関するコメントがほとんどないんだよね。もちろん大半の人は事前にPSPでゲームが発表されるって知ってたから驚きがないってのもあると思う。けど、上にも書いた新作ゲームが発表された3rd、4th、5thのときはライブの感想もあったけど喧々諤々にアイマスのこれからについて熱く話し合ってたのが、今は無風状態。もちろん、既存キャラでの音ゲーとかどう語れって話だけど、アイマスのこれからを話すよりも、ライブのインパクトがでかかったということなんだろう。まあこれをライブが良すぎたからと見るか、アイマスのこれからを直視したくないと見るか、新作ゲームに興味ないと見るかは人次第ってことでw きつく言えばアイマスのこれからを直視するより過去のいい思い出に浸るほうが幸せって時代が来つつあるのかもね。

来年にあるだろう8th次第だけど、そこでも無難な発表だったらよく言えば成熟、悪く言えば停滞、マンネリの域にアイマスが入る。アニメ2期発表でもやれば話は別だけど。今回のライブの反応が過去最高のライブとか泣いたとかすごい賞賛されてるわけで、こういう声が多数ってことを考えるとアイマスファンはやっぱりキャラクターと中の人を紐付けして見てるなあと思う。そうやって考えると、中の人含めて全キャラ入れ替えて新キャラのゲームを主流にする、例えばモバマスキャラが主役のゲーム発表、765プロ引退ってのはないかなあと。不況でゲーム、CDが売れないとかいう中、コア層だけで5000から1万人、裾野まで広げれば5万人はファンがいるだろうコンテンツ、アイマス。金の卵を産む鶏を殺して、卵を産むかすらわからない新しい鶏にするのはリスクが大きすぎて無理だろう。だから>もう3rd、5thみたいに一部キャラを移籍させたりしてプロデュース不可にしたゲームの発表したり、4thみたいに新キャラのゲームを入れて全員入れ替えか?という疑念を持たせるようなことはないと思う。鶏が卵を産まなくなる日まではちゃんと生かすでしょう。死にかかった2がトラウマになっているっぽいし。

モバマスはモバマスでCD発表とかしてるから既存の765プロの「アイマス」と並行しての展開で、もしモバマスキャラ主役のゲームが出るとしたら、765プロの新作ゲームと一緒じゃないだろうか。4thでのDSのように765プロキャラ全員入れ替えの疑念を持たせるようなことはさせないようにすると見る。もう1本の柱にはなりうるだろうけど、柱の取り替えはしないだろう。

たぶんこれからの展開は無難路線を貫くのなら今回の音ゲーのようにキャラクターをつかったアクションゲーとかRPGとかそういう派生的な感じになるだろう。あと今回のライブビューイングの結果次第と思うけど、もっとライブ増やすかもね。結局、今のアイマスファンの多数が望むのはアイドルをプロデュースするゲームではなく、今いるキャラクターと中の人がいるアニメであったりライブであったり、他の何かだったりするから。

この無難路線のままだと、2007年からのニコニコ静画でのアイマスMAD投稿による爆発的な人気増加みたいなことがない限り、徐々に衰退して緩やかな死を迎えそうな感じがする。アイマス?ああそういうゲームもあったねってなるより盛大な「引退ライブ」じゃないけど、終わらせるならぶっ壊すなり、でかい花火あげるなりして欲しい。ドーム公演でおしまい、とかね。

今回のライブビューイングの数次第だけど、武道館かドームでペイできると判断したら次は武道館かドームライブかな。去年の3度めの正直でのアニメが絶賛されて放送終了して、アイマス界隈が燃えつき症候群的な感じになってたけど、もし次のライブが武道館かドームだとしたらそれがもっと顕著になるだろう。それこそドームなんかでやった日には、もうこれからの目標的なものがなくなってしまうわけで。ただ、だらだら続けるよりゲームと同じようにドーム実現で一気に終わらせたほうがいいと思うけどな。下手に公式が続けて思い出を汚されるという状況より、思い出はきれいなままに、ゲームの中に、ということしておいたほうがいい。

いやでもアイマスの盛り上がりはこっからだよ、とか言われても、5thあたりから「終わりは始まり」的なメッセージがライブとか公式から出始めてること考えると、やっぱり終わりを意識せざるを得ない。ここまででかくなったコンテンツをどう終わらせるかというのは気になる。緩やかな衰退で終わるのか、盛大に花火を打ち上げて終わるのか。

個人的には2で冷水ぶっかけられて熱が冷めてる状況なので、テコ入れとして「3」でまた2みたいにいろいろといじくりまくって思い出を汚される的な流れだけは勘弁して下さい。

2012年6月5日火曜日

まとめアフィへの転載禁止から広まりすぎた話

昨日、午前中に出た特定のアフィまとめブログに対して、2ちゃんねるのレスの転載禁止された話。かなり飯が美味い。名前が出てるやつ全部、対立煽りだったり、偏向だったり、ステマだったりして、残当なわけですが、まあなんというか2ちゃんねるが大きくなりすぎたな、と。あ、まとめブログ見てネットde真実()笑とかマスゴミとかいうアホが大量生産された話とか、流入して新参ひどいよとか、対立煽りとか、ステマとかの話はうまくまとまりそうにないので書きません。書かなくてもうまくまとまらないけど。

日本におけるネットの中心はここ5年、大きく見るとこの10年ぐらいに渡って2ちゃんねるだった。特に2008年あたりからの3年間はまとめブログからの影響だけじゃなくてまとめブログからさらにロンダしたj-castとかロケットニュースとかのニュースじゃないニュースサイトからexciteとかmixiとかの一般サイトに記事が掲載されて、かなり影響を与えてたんじゃないだろうか。2ちゃんねる? え、そんなテレビ局ないよ? から、2ちゃんにおもしろいスレがあってさー、だ。

日本のネットもギークやオタクが大半を占める世界だったのがここ数年で、よく言えば一般化、悪く言えば大衆化した。中高生での共通の話題としてテレビドラマの代わりにアニメを見るような、スクールピラミッドでいう中間層が一気にネットに流れてきた。スマホとtwitterのコンボがでかい。

インターネットに未来を見出したり、僕たちの秘密基地だった時代は終わった。インターネットに未来なんてなかった。ネットに対してワクワクしてた時代の遺産だけが残った。その遺産は利率がそこそこの資産だと思っているけど、あのインターネットに感じてた全能感や一体感はなくなった。人がたくさん来て特別な空間から現実世界を映し出す日常的な空間になった。いやヴァーチャルって現実と同じって意味じゃん、って話だしこれが未来だったのかもしれない。でも、なんか、なんだかなー。

2ちゃんねるみたいな匿名で煽り合って違法ファイルやりとりして下手すりゃブラクラでパソコンぶっ壊されるようなアングラサイトはもう日本のネットの中心にはいられないのだ。一般の方が多くいるのですよ! そんなパソコンがぶっ壊されたり違法薬物の取引が書かれるような違法サイトは閉鎖閉鎖閉鎖! 影の部分には限りがあります。明るい部分から来た方は後ろを向いて影を見たり影踏みしたりしてないで、前を向いて明るい部分で健康的に遊びましょう。さあ、みんなtwitterかfacebookにでも帰るか移住でもしなさい。僕はGoogle+ちゃん!

2ちゃんねるの凋落というのは、twitterが流行り始めてきてちょっとずつ感じてきたけど、今回のが一つの転換点、大きな事件として記憶される。影の部分が照らされて、明るいところから人がどかどかやって来て、元からいた人が完全にいなくなってコミュニティとしての終わりを迎えるよりかは、影の部分ツアーみたいなことしてるまとめアフィをなくして、コミュニティの再建をひっそりとやっていくのがいいということなのだろう。

もう匿名の掲示板なんか終わりなのかもしれない。アニメ系に関してはふたばのmayあたりに中心が移りそうな気もするが、あそこは閉鎖性が2ちゃんねるより高く反発もでかいからどうなることやら。2ちゃんねるみたいにいろんな話題があるササラ型から一人一人の趣味にカスタマイズしたtwitterみたいなタコツボ型にコミュニティはシフトするのかもしれない。アニメアニメうっせーよオタクども。リア充は死ね。これらのご要望にお答えします。いろんな人が来て、人種が多様化して、もうみんな1ヶ所には集まれないよ。集まっても現実と同じように交わらないようにしなきゃ。

一番楽しいのは内輪の話。もう2ちゃんねるで内輪ノリはできない。結局は、そこに行き着く。

2012年5月24日木曜日

Mの迷宮 『輪るピングドラム』論 レビュー

ピングドラムの評論本、Mの迷宮 『輪るピングドラム』論 山川賢一 著 買いました。ピングドラム好きなので。まあ結論から言ってしまうと、本の値段1500円という映画1本分には足りなかった。Amazonのレビューで言ったら星2つ。これ書いた後に、短くしたのを投稿するつもりだけど。まあ評論本と解説本は違うよね、といえばそれまでだけど、個人的には深く読み解いた上でいろんな評論する本だと思ってただけにかなりがっかりした。前のピングドラムについて語った記事で上げた新聞での解説と評論や、公式ガイドブックにあった藤津亮太の寄稿と幾原監督と対談した辻村深月の寄稿を読んだ後だっただけに、落差をひどく感じる。

まあAmazonのページにある目次で5章のうち3章が他作品について言及っての知ってた上で地雷を踏みに行ったわけですけれども、まあちょっとは地雷じゃないと期待してましたが地雷だった。まあ一応Amazonへのリンクは貼っときますが。

Mの迷宮 『輪るピングドラム』論

で、まあ一言で言うならピンぼけしてる本だなと読み終わってから思った。だって一番最初と一番最後にこの作品のテーマは愛ですと提示してるのに主な話は「生存戦略」と「運命」ということが主な話。さらに言えば輪るピングドラムは宮沢賢治の銀河鉄道の夜がモチーフになってるってことはいろんなところで散々言われているのに、言及してるのが最後の章での6ページちょっと。他作品の評論部分で3章分使うより、本筋に関わる銀河鉄道の夜からのアプローチをもうちょっと増やすべきでしょ。ウテナやナウシカ、エヴァについていろんな作品を出して言及しているが、その部分は見ていない人への各作品のあらすじ、作品とピングドラムとの共通点を簡単にまとめるだけでいい。長い。

さらに言えば、ウテナやナウシカ、エヴァは全体主義3部作として章題の副題としてついてるようにこの評論本はピングフォースや眞悧、子供たちの生存戦略に焦点を置いてるわけだが、それとともにピングドラムの柱である愛についての言及が少ない。完全に消化不良。こないだ書いた自分のクソみたいな考えのほうが愛のあたりについてはマシと思うぐらい少ない。このあたりがピンぼけしてるなと感じた理由。恥ずかしがらずに愛について語れよ。

あと作中で出てくるいろんなメタファーについてほとんど読みといていない。そういう作中のメタファーを読み解いてピングドラムという作品を評する的なのを求める人はやめたほうがいい。

あ、ただ1点だけなるほどと思ったのが、なぜマリオにペンギンがつかなくて真砂子についてるかというところ。ペンギンは片思いの連鎖を表していて、いったんこの関係が露呈してしまうと氷山の上のペンギンのように誰かを突き落とさなければならないということ。ここだけはすごいうまいというか腑に落ちた。

むしろ他作品について言及しまくってこんな面白く無い評論にするぐらいだったら、途中の2章の4で自分のホラー愛をもっと開放して評論すべきだったでしょ。作者独自の視点が出てて、上手い下手とかおもしろいクソ以前に作者が楽しそうに書いてるように感じられるからこっちも楽しい。ホラーから読み解くピングドラムあたり的な題でこのボリュームだったらまあありだったかな。まああさっての方向からすぎてコミケで出せよって話かもしれないけど。このホラー部分とペンギンのくだりだけが面白かった。

それ以外は微妙で、些細な部分というかそこを突いていくか?というのが多かった。というよりも眞悧本人が僕は呪いのメタファーだからね、と言っているのに眞悧を一人の登場人物として扱ってその行動原理を読み解く部分がものすごい違和感があった。いやその呪いのメタファーの部分をもっと分解して行こうよ。

よく疑問に上がる、こどもブロイラー、桃果の日記のとは何か、「きっと何者にもなれない」とは?、プリンセス・オブ・ザ・クリスタルとは何者?、運命の至る場所は?等々に対する解答がないか不十分。もう一度書くけど、他作品に言及するぐらいならもっと読み解こう。まあそれが評論のスタイルです、と言うなら諦めますが。

あとピングフォースについて全体主義とか理想主義の堕落として言及してるけど、まあこれもピンぼけというかうーんという感じ。もちろん言及されてるがピングフォースは地下鉄サリン事件のオウムがモチーフ。で、幾原監督が同世代としての罪の意識があると。ここまではいい。なぜこっから革命だとか理想主義だとかのニッチなところに向かうのか。さらに言えばなぜ桃果について
桃果の能力が初めて描かれる第十五話には、「世界を救う者」というタイトルがつけられている。これは『ウテナ』を知っている視聴者に、桃果は「世界を革命する者」なんですよ、とヒントを出しているのだろう。
と言ってしまうのか。違うでしょ。公式ガイドブックの藤津亮太の寄稿から引く。ちょっと長くなるけど。
剣山の演説は迫力があって素晴らしい。この素晴らしさは具体性が書いているからで、そこには記号のように「素晴らしさ」だけが叫ばれている。剣山の「素晴らしさ」はなぜ、呪いとして冠馬や晶馬に受け継がれることになったのか。(略) だから剣山は、陽毬がこどもブロイラーに送られてことを知らされても、こどもブロイラーのある世界を避難はしても、行動を起こさなかった。そして晶馬は行動を起こした。人が「黒」の世界へ落下しようとする時、それをこの世に留められるのは、具体性を欠いた素晴らしい言葉ではない。だれか一人のために投げかけられる言葉、伸ばされる手だけが、その人を何者にもなれない虚無から救うのだ。
桃果が「世界を救う者」なのは、何者にもなれない虚無に落ちようとするところからただ一人のために言葉を、愛を投げかけられる者だからってことであって「世界を革命する者」という解釈はほぼ間違いと言ってもいい。ウテナやナウシカ、エヴァからの対比だろうけど、生存戦略や競争、全体主義ということにこだわりすぎ。愛の話なんだよ、なんでわかんないかなー。

まあだらだらと長くなったので終わりとしてまとめると1500円は高い。3/5が他作品の言及なので1500×2/5=600、さらにメタファーとかの消化不良ということで引いて切りの良い500円が妥当。いやまあ読む時間考えるとさらに微妙だと思うけど。途中のホラー部分やペンギンのくだりはおぉと思ったので、まあブックオフで買うか誰かから借りるかぐらいが妥当かな。自分で新品買うのは後悔する可能性が高いと思う。


この評論本と違って間違いなく3000円分、いやそれ以上の価値があると思うのはこの公式ガイドブック。上にも書いたように藤津亮太と辻村深月の寄稿が面白い。もちろんそれ以外にもスタッフのインタビュー、設定画、中の人のインタビュー、幾原監督と辻村深月の対談があってすごくいい。捨てページというのがこのガイドブックには存在しないと思うぐらい。眞悧先生の「しびれるだろう?」は100回以上撮り直してるということを知ることができるのはこのガイドブックだけ!
というわけなので評論本買うぐらいならこっちのガイドブック買いましょう。ガイドブックも買ってお金が余ってる人はこの評論本も買ってみるのもいいんじゃないんですかね、ということで。

ちなみに買いましたが、ブックオフあたりに売っぱらおうか考え中なので、ここんとこどうなの?とかいや実際にはもっとよかったじゃんとか言われても、その時点ではもう現物がない可能性があるのでどうにもならないです。

2012年5月6日日曜日

Google+のハングアウトに未来を見た。

Google+のハングアウトが最高に熱い。みんなハングアウトやろう。

ハングアウトは本来の目的はビデオチャット用で、Face to Faceでコミュニケーション取ろうよ的なアメリカンな感じのサービスだけど、それ以外の目的でしかこれまで使ってない。

どう使うかというと、ハングアウトのアプリケーションのYouTubeの動画視聴でみんな一緒に同じ動画を見ながらチャットするってこと。これが最高に楽しい。アニメOPED鑑賞会とか怖い動画鑑賞会とかみんなでワイワイチャットしながら見るのが熱い。

あと、ここ最近できた画面共有。これも熱い。これを使うと自分のパソコンの画面をその通り共有することができる。つまり、自分の見てる画面を離れた別の人にも見せることができるってこと。これもただ画面共有しながらダラダラして、お前何見てんだよwwとかそんな感じで楽しめる。

さらに今朝、新しい楽しみを発見してしまったのが、ソーシャルカラオケと名付けた遊び方。YouTubeで曲を流す→マイクをonにして歌う→楽しい! これが最高におもしろい。コンテンツ。まあ途中から相手にとって騒音にしかなってないようでしたが、歌ってる自分はおもしろかった。ただ、パソコン上の音をどう流したらいいのかがいまいちよくわかんない状態で、マイクがないパソコンでやってる友人がマイクonにして流すとパソコンの音拾うっぽいけど、マイクある自分のノートパソコンだとどうやったらいいのかが、わからないからまだこれは試行錯誤の途中。ただ新時代の歌ってみた()を感じたわ。

たぶんこれは間違いなく流行る。まあハングアウトが重いのは難点。YouTubeとか画面共有とかだとカックカクになるし、音も途切れ途切れになる。まあパソコンのスペックが低いからなんだけど、それなりのスペックが欲しいところ。公式のどっかに推奨スペック書いておいて欲しい。skypeのチャットと違ってファイルのやり取りはできないけど、YouTubeで同じ動画見たり画面共有できるのはかなり魅力的。あと、使ってないけどGoogle Documentのあるファイルを共同で編集することもできる。

未来感じたね。

2012年5月3日木曜日

「愛の話なんだよ、なんでわかんないかな~」3

愛については散々語ったから次はサネトシ先生の「箱」とかピングフォース、あたりについて自分が思ったことをまとめておく。

眞悧が言った「箱」、冠馬と晶馬が閉じ込められていた箱。眞悧の言葉を引く。
「人間っていうのは、不自由な生き物だね。自分という箱から一生出られないんだ」(略)「隣に誰かがいても、壁を超えて繋がることもできない。僕らはみんなひとりぼっちなのさ。その小さく狭い箱の中で何かを得ることなど絶対にないだろう」(略)「出口なんかどこにもない。誰も救えやしない。だから、壊すしかないんだよ。箱を、ひとを!世界を!」
これらも事実というか本当である。エヴァだと自我と他人とを隔てるものとしてATフィールがあったように、他人とは自我という箱で隔てられ、他人とは一緒にはなれない。自分と他人、それはもう別の生き物だ。これが眞悧のいう箱は、名付けるならば「自我の箱」である。箱をいくつ繋げても1つの箱がなくなるわけではないのだ。

では、なぜ冠馬と晶馬は箱に閉じ込められて餓死しそうになっていたのか。前の記事でも書いたように人ってのは愛されたことがないと、存在を認めてもらえないと死んでしまうということに戻る。眞悧先生が言ったようにそもそも人は箱の中に閉じ込められていて、箱から出ることはできない。そしてその箱のなかで何かを得ることはできない。だから冠葉と晶馬がやりとりしたように、ピングドラム、愛をやりとりしないと死んでしまう。そう、冠葉と晶馬が閉じ込められて餓死しそうになっていたのは前にも書いたように親からの愛情を受け取れていなかったからである。

愛はお互いが手を差し出さないと成立しない。眞悧先生はそのことに気づくことができなかった。鷲塚医師が差し出していたかもしれない手に気づかなかった。眞悧先生は自分を閉じ込める箱を、ひとを、世界を壊して外に出ようとしたのだ。何もない誰とも繋がれない箱から存在を認めてもらおうと、愛を得ようと、生きる意味を得ようとした。眞悧先生は自分の分身とも言える、シラセとソウヤにしか認められなかった寂しい、けれども僕たちの世界にもいる人だった。そう思うと彼の言葉が負け惜しみに聞こえてきて悲しく、自分と重ねあわせてしまう。
「きみたちは決して呪いから逃れることはできないよ。僕がそうであるようにね」(略)「箱のなかのきみたちが何かを得ることなどない! この世界に何も残せず、ただ消えるんだ。塵ひとつ残せやしないさ!」(略)「きみたちは絶対、しあわせになんかなれない」

ピングフォースについては前記事で引いた部分をもう一度引いておく。
夏芽左兵衛が築き上げた夏芽の人々は、とても強欲だった。この世界は欲のあるものが支配し、それ以外の人間には果実など与えない。それが祖父の呪いだと思っていた。だから、真砂子は夏芽のすべてを捨てて姿をくらました父を、欲のない美しいひとだと思った。しかし、あそこは父の棺だった。未だ実態のはっきりとしない、揺れ動く、父の美しい棺だったのだ。単純に目に見える美しさや光には、必ず影が付きまとう。冠葉は真砂子やマリオをその影から救い出し、本当の光、陽のあたる世界へおいてくれた。ゆりの言った通り、真砂子はそのことに気がつかない子供だったのだ。 
強欲な人は果実を他の人に与えず、前の記事で書いたように呪い=家族であるわけだ。確かにそうであるけれども、じゃあ欲のないのが美しいのか。その一つの答えがピングフォースである。ピングフォースというのは美しい目標に対して「正しいこと」を言う人だけれども、他の人から見ると狂人と呼ばれる集団だ。

ピングフォースは95のマークや地下鉄爆破事件からもわかるようにオウムがモデルだ。幾原監督は公式ガイドブックでの辻村深月との対談で
少し話が変わるんだけど、若い人のドグマが表出するきっかけはいつも、"とてつもない正義" だと思うんですよ。60年代の運動だって、彼らが信じるとてつもない正義が大人たちに反抗するパワーになった。95年の事件もそう。それを起こした彼ら一人ひとりの言葉を見聞きすると、その正しさたるや、聞いていて吐き気をもよおすぐらいの潔癖さだったりする。じゃあ今はどうか? インターネットで交わされている言葉にはとてつもない正義があふれていますよね。ネット上で名前のない彼らは、徹底して正しさとは何か、という話を煮詰めていて、ちょっとでも汚れていると途端に総攻撃を仕かけることがある。その正しさがさらに煮詰められたときに、いったいどうなるのか? 世界というのは基本的に正しさで構成されていないから、人間は正しさを語り合うと同時にうしろ暗さも抱えていて、自分をあましながら生きている。バーチャルの世界で煮詰められた正しさも、最終的にはなんらかのエネルギーとして表出する気がしますね。
と述べている。正しさを求めるあまり排他的になり、自分の存在を、居場所を世界からなくしていき、「透明な存在」になってしまったコミュニティ。正しさが、光が増えると影の居場所はなくなっていく。光だけを求めると、光と影がある世界が許せなくなる。


最後に冠馬が言った「俺は見つけたよ。本当の光を」という話は結局のところこれにつながっている。箱に閉じ込められた自分を照らしてくれる光。光だけが、影だけが支配する世界から光と影が共存する世界へ導いてくれる光。


また眞悧先生の言葉を引く。
「だよね。きみが彼の行いを否定すればするほど、きみの声は彼から遠ざかり、届かなくなる。わかってるだろう? 『誰よりもきみが必要なんだ』って、みんなそう言って欲しいんだ。それだけを求めて生きているんだ」
愛が、存在を認めてもらえなければ人は透明な存在になる。では求めるままにすればそれでいいのか。陽毬の言葉も引く。
「だって、キスは無限じゃないんだよ、消費されちゃうんだよ。果実がないのにキスばっかりしてたら、私は空っぽになっちゃうよ」
果実、愛がないのにキスをする。相手が認識していないのに自分を削って何かを与えようとする。だからキスは無限じゃなく、消費されてしまう。まるでホストクラブやキャバクラで貢ぐように。相手が求めるままに与えればいいのか。前にも書いたように愛とはキャッチボールようなもの。一方的ではダメで、相互に投げ合う、またはちゃんと受け取る必要があるわけだ。

ピングドラムは基本的には愛の話であるが、傍流としてコミュニティについてということがある。また幾原監督の言葉を引く。
それまで漠然と依存してきたコミュニティーのありようが変わって、意識的に自分の拠り所を最確認する心の動きが起こったとします。そのときに一番リアリティーがあるのは、やっぱり「生んでくれて、ありがとう」や「育ててくれて、ありがとう」じゃないですか。
家族という最小のコミュニティとピングフォースというコミュニティ。 2011年は非日常があり、自分の属しているコミュニティを最確認する年だった。ピングドラム作中にもあったように、家族が最後の絶対の砦になるとは限らない。これまではほぼ強制的に箱が繋がれていたのが、幾原監督が例に出すアメリカでの囚人の家族みたいに、コミュニティを維持する、作るということが重要になっていくのかもしれない。

箱とかはうまく言えるけど眞悧先生であったりピングフォースみたいなコミュニティについてはまだうまく咀嚼して語れない。大きなテーマの愛については前記事のようにうまく言えるけど、この記事みたいな傍流の部分がまだよくうまく語れない。運命の至る場所とかね。でもまあ、とりあえずなんかうまくは言えないけど、ピングドラムについて語るのはここまでにする。前のピングドラムの記事も含めると1週間ぐらいずっと考えてて、いろいろと手につかなかったのでそろそろまともな生活に復帰しなければ。

またなんかうまく理解して語りたくなったら書こう。

2012年5月2日水曜日

Astro Cafeで考えた衛星とか

Tsukuba SpaceClusterとかいう学生団体、まあ代表はM1の知り合いの先輩が主催したAstro Cafeというのに行ってきた。

まあJAXAでISSとかきぼうの管制やってる人の講演を聞いてそのあとグループディスカッションみたいに各グループで衛星を考える的なことをやった。一番驚いたのはJAXAの管制もPMCみたいに民間に委託してるってこと。完全にJAXAの人がやってると思ってた。

で、考えた衛星について。グループで同じ机に座ってたのが6人中4人がサークルの後輩で非常に内輪ちっくだった。とりあえずブレインストーミングでアイデア出そうとか言っていろいろ出した。まあ9割ぐらいは僕が出した。グループで出たので覚えているのは

  • 発電衛星
  • 散骨衛星
  • 降雨衛星
  • サテライトキャノン
  • 星座衛星
  • オリエンテーリング衛星
  • 酒造衛星
  • 飴衛星
みたいな感じ。自分が出した散骨衛星がグループで採用。グループで提出する紙は後輩が書いた。うろ覚えだけど。

ミッション名
星になったおじいちゃん

目的
遺灰をカプセルにいれ宇宙に打ち上げ、指定の日時で地球に投下。流れ星となって文字通り星になれる

売り込み先
死にそうな人の家族、金持ち

アピールポイント
行きだけなのでコストが安い。文字通り星になれる。子供に「あの流れ星がおじいちゃんなんだよ」と言うことができる。

という感じで書いて、発表したらめちゃくちゃ受けた。うおーとかすげー的な感じになった。他の方々は真面目に東電に売電するための発電衛星とか月面天文衛星とか電波天文衛星とか考えてました。個人的には大勝利だと思ってる。

まあ、ネタバレ言っちゃうと宇宙散骨自体は知ってた。ここまでウケるとは思ってなかった。けど、宇宙散骨から流れ星にするってところがオリジナルでちゃんと考えました。考えたけどもしかしたらもうあるかもしれんが、たぶんそこが勝因。

で、懇親会にも行ったんだけど、ついにドヤ顔でリベットの実験について話すことができたので最高に気持よかったです。あと前にもレビューしたジェノサイドとか1984とかからインスパイアされた話とかしました。なんか都市工学系の人がいたからそういうテラフォーミングとか宇宙移民みたいにSFちっくな未来の話が多かった。

最後に一つ言わせて。楽しかった。

2012年5月1日火曜日

「愛の話なんだよ、なんでわかんないかな~」2

前の記事でぐだぐだ書いてたけど核心の愛の話について語ろうと思う。たぶん2ってタイトルにあるけど、こっちが本番だと思う。長くなったから画像が入るまでが一つの話題って感じで読んで。

ピングドラムにおいて公式が流していた「僕の愛も、君の罰も、すべてわけあうんだ」というフレーズ。「愛」とは「罰」であり、「呪い」ではないのか。そしてそれらは、分けあわれていく。たぶんこれがこの作品の核だと僕は思っている。

この作品のモチーフとなっている宮沢賢治の銀河鉄道の夜。この中に出てくる蠍の話。これが愛とはなんぞや、ということを示しているのでその部分を引く。
むかしのバルドラの野原に一ぴきの蝎がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見附かって食べられそうになったんですって。さそりは一生けん命遁げて遁げたけどとうとういたちに押えられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてもあがられないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火それだわ。
だから乗り換えの時で「命←→蠍の炎」なわけ。「愛」とは「代償」、「自己犠牲」が必要なものでもある。

じゃあ、自らの体を犠牲にすればそれが愛なのかと言えば、それは違う。冠葉が晶馬へリンゴを分け合おうとしようとしたとき、冠馬と晶馬が二人とも檻から精一杯手を伸ばしてリンゴをやり取りしたように、受け取る側の努力というか認識が重要。

家宅捜索される前の高倉家の玄関にリンゴが3つあったように実は晶馬は愛されていた。晶馬が23話の終わりの方でで両親を許したことで、冠馬や陽毬と違って晶馬は「失われた子ども」じゃなくなったんだと僕は思う。じゃあなんで晶馬が「檻」の中に入ってたかというと、親がピングフォースの運動に傾倒してて親ではなく指導者となっていたからかなと。そう考えると同じく親が幹部だった冠馬も檻に入れられていたわけもわかる。で、あの事件の首謀者だとわかって以来晶馬は親との繋がりを拒否してたが、最後で両親を許し、親からの愛を感じることができた。だから最終話で晶馬は冠馬にピングドラムを返すことができたんじゃないか。果実を受け取ることができたから苹果が運命の乗り換えのための代償の炎に囲まれた中に突っ込んでいき、抱きしめることができた。そして、苹果の代わりに呪いの炎に焼かれ、「愛してる」という言い、両親の罰を両親を愛してるゆえに受けることができたから運命の乗り換えができたのだと思う。

じゃあ両親から捨てられたとも言える冠馬と陽毬、ゆりと多蕗はどうなのかという話。

まずそもそもとして、人は愛されたことがなければ死んでしまう、自分を見失ってしまうということ。愛されない、いらない捨てられた子どもたちはこどもブロイラーに送られて「透明な存在」になってしまう。「きっと何者にもなれないお前たち」というのは、この世界での存在理由がない人のことを言うのだと思う。桃果が多蕗に「私のために生きて!」と言ったように、誰かに一度は世界に引き止めてもらわないと、人はブロイラーに送られて透明な存在になってしまうのかもしれない。
あるとき、テレビで見た少女が言った。「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の二種類しかいない」ドキッとした。「選ばれないことは死ぬこと」と少女は言った。
http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417 より。

で、冠馬と陽毬。冠馬から晶馬へリンゴの半分が渡され、晶馬が陽毬をこどもブロイラーで選び、陽毬のことを冠馬が守りたいと思ったというのがピングドラム作中での大きな構図。冠馬は両親が死んでから高倉家に迎え入れられたわけだけれども、晶馬と同じく剣山と千江美からの愛をちゃんと受け取れず、結局のところ、親からの愛ではなく兄弟愛によるピングドラムで冠馬晶馬陽毬の3人は生きてたんじゃないかと思う。あ、冠馬がなんで檻の中でリンゴを見つけることができたのかというと、それは大切な人、真砂子とマリオを思い浮かべることができたからかな、と思う。晶馬は思い浮かべることができなかったからリンゴを見つけることができず、選ばれなかった。

じゃあなんで兄弟愛だけで生きてる3人なのに陽毬だけがなんで病気になったのかというと、もちろん晶馬が言っていた「メリーさんの羊」もあるんだろうけど、陽毬は冠馬からは兄妹愛を受けていたけど、与えてくれる冠馬に甘えてすぎていたからじゃないのかなと思う。与えてもらうだけで、自分から求めず、こちらから与えたりしなかった。愛とはキャッチボールみたいなものなのかなと。お互いに投げ合って、お互いが取り合わないと成立しないものじゃないのかと思う。輪るピングドラムとなってて、愛が「輪る」わけだけど冠馬と晶馬は双方向だったのが、陽毬に対しては冠馬、晶馬からの一方通行だったのかな、と思う。キャッチボールじゃなくて壁当てしてた感じ。最終話で冠馬の背中から血が吹き出たのは、陽毬が受け取ろうとしないことに対して、冠馬これ以上陽毬に与えるとしたら自分自身の体、いたちにくれてやったほうがよかった蠍の体しかないからというような感じ。陽毬は陽毬で、苹果が晶馬に言おうとしたように「あの子いつだってああやって笑っているけど」、実際は城に閉じ込められていたお姫様だったんじゃないのかなあ、と思う。プリンセス・オブ・ザ・クリスタルは冠馬と晶馬の前でいい子を演じようとした反動なのかな、という気がする。だって帽子自体は桃果で別物だったわけで。冠馬が陽毬を救うために企鵝の会に傾倒して「お前が死んだら、俺はこの世界を許さない」と言ったように、最後のほうで陽毬がこれまでで一番のわがままを言ったように、愛ってわがままからの結果なのかな、と思う。冠馬と晶馬が喧嘩をしたりして、わがままを互いに言い合ってたのに、陽毬だけは一方的に無意識にわがままを言うだけだったのかな、と。

ゆりと多蕗は愛されなかった子どもと似ている愛を失った子なんだよね。もちろん二人とも最初は愛されなかった子どもたちだった。けれども、そこから桃果が愛してくれて、失われた子どもじゃなくなった。どうして二人が残されたのかは、小説版そのまま引用したほうがわかりやすいから引く。
「きみと僕は、あらかじめ失われた子供だった。でも、世界中のほとんどの子供たちは僕らと一緒なんだよ。だから、たった一度で良い。誰かの愛してるって言葉が必要だったんだ」 「そうね 」たとえ運命がすべてを奪ったとしても、言葉や記憶が消え去っても、愛された子供はきっとまたしあわせを見つけられる。桃果が、ゆりや多蕗に残してくれたもの。それがあるから、ふたりはこの答えに辿りつけたのだ。
これとともに、小説版下巻の一番最初の文章も引く。
今はどんなに孤独だとしても、扉を開けて進むのだ。またいつか、必ず出会うために。そして愛するために。
この2つの引用が大体ゆりと多蕗に関して言いたいこと。愛された子供はまた誰かを愛する。失われた子供がいたら愛を与えよ。だからお前たちも人を愛せ、とイクニはクリスマスに言いたかったんだな。こどもブロイラーに送られそうな自分の存在を失いそうなやつがいたら死ぬなとか生きろじゃなくて、お前が必要だ、私のために生きてと言えってことだ。

苹果について書くの忘れてたけど、苹果も結局愛というのを失った子なんだよね。父親と母親が別れて、愛を家族を取り戻そうと桃果になろうとして、桃果になろうとするわけだ。それもこれも苹果の家族を元通りにしたいというわがままだったわけだけど、晶馬に「きみはきみ、荻野目苹果! ほかの誰でもないじゃないか!」と言われたことがターニングポイント。そしてゆりからの指摘で自分は桃果が好きだった多蕗じゃなくて晶馬が好きと気づくわけだ。で、そのあと晶馬に対して
「晶馬くんがいやだって言っても、あきらめないから。だって、私は晶馬くんのストーカーだもん。私、運命を変えて見せる」
と言う。 ここで晶馬にまた話が戻るんだけど、晶馬は上にも書いたように両親を許してなくて愛を受けず、自分が他人を愛することを許してなかったわけ。「みんな僕達から離れていって、僕ら兄妹は、三人だけで生きるしかなかった」んだけれども、それでも苹果はいてくれて、18話最後のシーンで
「私は違うよ。私は、晶馬くんたちのこと嫌いになったりしない!」 背中から回される両腕の力強い熱に、こころが少しずつ、溶けていく。 「悲しいことも辛いことも、無駄なんて思わない。それが運命なら、きっと意味があるもの。私は、受け入れて強くなる。だから」 あれだけ拒絶をした僕に、荻野目さんは言った。「だから、泣かないで」 僕も強くならなければいけない。どんなに理不尽に思えても、これが僕たちの運命だと言うのならば、受け入れて強くならなければ。服の袖で涙を拭いながら、僕はもう、自分に嘘はつかない。運命からも荻野目さんからも、決して逃げないと決めた。
 と晶馬は苹果に対して心を許す。で、上にも書いたように最終話で晶馬に苹果は「愛してる」と言われて、運命の乗り換えができたわけだ。公式ガイドブックでの晶馬のページから引く。
自分に愛を与えてくれた苹果。人を愛する資格ががないと思っていた晶馬は、彼女を「愛すること」を初めて自分に許したのだ。
両親が犯罪者で愛する資格がなく、罰を受けるべきだと思ってた自分から離れようとせず、愛を与えようとした苹果。両親を許すことができたから晶馬は最後に苹果を愛することができたのだと思う。両親=運命ね。大切な人のために、呪いの炎に焼かれるとしても「運命の乗り換え」を行おうとした苹果。18話と最終話24話がすごい好き。愛なんだよなー。18話のシーンはデスクトップの背景にしてる。


晶馬が苦しんでいたように親、家族というのがまず大きな呪いであり愛なんだよね。もちろん苹果も多蕗もゆりも真砂子も、家族というのが大きなキーになっている。眞悧先生の言葉を引く。
「ねえ、家族というのは、一種の幻想。『呪い』のようなものだと思わない?」(略)「考えてもみてよ。『家族』という名に縛られて苦しむ子供たちのことを。愛という名目のもとに、子供に何をしても良いと勘違いしている親たちのことを。彼らが本当に愛しているのは自分自身だけだというのに、子供たちはただ家族だからという理由で、親を愛し、きょうだいを愛さなければならない」
ほとんどの親は自分を犠牲にして子供を育てている。子供ができて独身のときにできたことができなくなったという話は枚挙にいとまがない。それとともに子供は親の期待であったり、晶馬のように親が犯罪者とまではいかなくとも出自であったりで、呪いを受けるわけ。呪いのメタファーなんだよと言った眞悧先生の後ろに両親が見えた冠馬のようにね。が、それが絆なでもあるわけ。ガイドブックでも言われていたけど、ピングドラムが放送された2011年は日常が失われていて、絆に対する意識がこれ以上なく高まっていたってこともさらに絆を意識させた。また、真砂子が冠葉に言った
「言って。わたくしはあなたの大切な妹だと。一度だけ、昔みたいに。そうしたら、わたくしは未来永劫、あなたと一緒に呪われる」
ということ。呪われると同時に自分の存在を、場所を得ることができる。トレードオフ。


イクニがインタビューで答えているが、アメリカの禁固何百年の受刑者だけれども、その彼のもとにも毎年家族が面会にやってきて家族写真を撮るという。イクニは日本は村社会で家族や個人をムラのルールが抹殺することがあるが、ドキュメンタリーでのアメリカでは家族というコミュニティはどんなにひどい犯罪者でも強固に維持されている。その絆の深さは、コミュニティを失うことへの強い不安の裏返しとも言える、と言っている。意図的に呪いをかけるかけられるということをしなければ、コミュニティを維持できないのかもしれない。コミュニティについてはまた別記事で書こうと思う。


真砂子についてはさらに小説版の文を引く。
夏芽左兵衛が築き上げた夏芽の人々は、とても強欲だった。この世界は欲のあるものが支配し、それ以外の人間には果実など与えない。それが祖父の呪いだと思っていた。だから、真砂子は夏芽のすべてを捨てて姿をくらました父を、欲のない美しいひとだと思った。しかし、あそこは父の棺だった。未だ実態のはっきりとしない、揺れ動く、父の美しい棺だったのだ。単純に目に見える美しさや光には、必ず影が付きまとう。冠葉は真砂子やマリオをその影から救い出し、本当の光、陽のあたる世界へおいてくれた。ゆりの言った通り、真砂子はそのことに気がつかない子供だったのだ。 
欲のある者が他のものに果実を与えず、人は箱の中に閉じ込められて繋がり合えない。眞悧先生の「箱」についてもまた別記事で。

ここまでは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をベースにした「愛」の話だったけど、ほかのモチーフについても語る。

輪るピングドラムにおいてはリンゴが「運命の果実」として描かれている。リンゴが「ピングドラム」であり、愛ということを作中では示された。そう、リンゴといえば旧約聖書創世記におけるアダムとイブが食べた禁断の果実。晶馬も言ったように最初の男女であるアダムとイブは「一緒に運命の果実を食べた」わけだ。その結果アダムとイブはエデンの園を追い出されて、人間は原罪を背負うようになったと言われている。これはある意味呪われたとも言えるのではないだろうか。
また、この禁断の果実以外にもりんごには様々な象徴がある。知恵だとか不死身だとかいろいろなものがある。それを分け合うということがピングドラムにおける肝だと思う。イクニも公式ガイドブックでの対談で言っていたけど、「分け合う」ってことが作品のテーマになっている。


ペンギンもモチーフになっているけど、これはコウテイペンギンの子育てがベースになってるんじゃないのかな、と思う。子供のためにマイナス60度の中で数ヶ月絶食して卵を温めたり、海に行ってきて取ってきた餌を雛に与えたりするあたりが愛じゃないかな、と。あとあれは重くなりがちな画面をコミカルにするとともに、3人の無意識を表しているのかな、と思う。

愛に関して好きな言葉があるのでなんとなく引いときます。
「世界を敵にして、たった一人に愛されるか。たった一人を失って、世界に愛されるか」劇団四季 Wicked
いつだったか、電車の吊り広告でこのフレーズをみて痺れました。

さて、陽毬が言った
「だって、キスは無限じゃないんだよ、消費されちゃうんだよ。果実がないのにキスばっかりしてたら、私は空っぽになっちゃうよ」
ということ。これは果実=愛とともに、眞悧先生の箱の話にも繋がるので、これもまた別記事で。


作品のキーワードとして選ぶとしたら「ありがとう」と「愛してる」。愛ってのは相手のための自己犠牲でありながらそれが自分のわがままであり、愛を受け取る相手もそれを認識して初めて成立するものなんじゃないのかなあ、というのがここまで書いてきて思いました。自発的な自己犠牲によるものが愛みたいな感じが自分の中であるから、すごいピングドラムの作中とぴったり合って、ピングドラムすごい好きってことです。

なんかまだ書き足りてないし、すごくまだうまく言い表せないけど、自分が感じたり思ったことについてまとめとく。

2012年4月30日月曜日

天文クイズ

なんかGmailの過去の自分のメール見たら、高校時代にどうやら文化祭で発表というかなんかの企画のために考えた天文クイズが出てきたのでそのまんまコピペしとく。天文部だったしね。

惑星編
地球と一番大きさが似ているのは?
太陽に一番近いのは、遠いのは
小さいのは、大きいのは
惑星は2つのグループに分かれるのはどこから
朝早くと夕方にしか見えない惑星は?
肉眼で見える惑星は?
彗星の正体は?
土星の輪の正体は?
12月に観望期を迎える惑星は?
太陽系以外にも惑星はあるか?

恒星、銀河編
銀河って何
恒星はどのようにして光っているか
ブラックホールは本当にあるの
星はどこで生まれるか?
天の川の正体は?
星の色が違う理由は
太陽の絶対等級は
全天で一番明るい恒星は
宇宙はどのように出来たか
太陽は最後どうなるか

星座編
この形の星座は?
この星の名前は
占いで使う12星座はなぜ
~という星座は?
1等星が2つある星座は
星座の出来かたは
~という星座はいつ頃見えるか

暦、地球月編
流れ星の正体は
地球は1年間に何回転してるか
オーロラの正体は
月にはうさぎがいるの?
どのようにして月食、日食が起こるか
次の月食、日食はいつ頃
なぜ夕焼け朝焼けは赤い
季節の変化はなぜ起こる

ロケット人工衛星編
人類最初に打ち上げた人工衛星は
スペースデブリって何
火星、木星、αケンタウリまで歩いて、新幹線、ロケットで何年かかるか
のぞみ、かぐや、はやぶさって何

研究機関編
jaxa nasa naoj esaって何?
すばるはなぜハワイにあるのか

2012年4月29日日曜日

70ドルぐらいを募金に突っ込んだ話。

2010年の秋にハワイに行ったわけですが、そんときに使い残したドルが70ドルぐらい財布で眠ってて、それを今日、駅前でやってた募金(たぶんあしなが)に全額突っ込んだ。特に意味はないんですが、財布でずっと使わずに眠ったままだったので処分できてよかった。win-winな感じ。自分としても当分海外に行く予定はないので持っててもしょうがないので、両替して役に立ててもらえればって感じです。うわー俺いいことやっちゃったよー的な感じの気分が来るかと思ったけど、特にないです。あ、でも募金した自分にご褒美(笑)でアイス買って家に帰ってから食べました。自転車で漕いで汗書いてたから美味しかった。

募金してふと気づいたんだけど、ドル札だと1ドルでも紙幣なんだよね。1ドルでも10ドルでも100ドルでも紙幣だから、傍目から見たらどれぐらい出してるのかわかんない。だから1ドルぐらいでも気軽に募金できるんじゃないのかなあと思った。日本だと紙幣の最小額は1000円≒10ドルぐらいだからレベル高い。100円だと硬貨だからぱっと見、大目に見ても500円なんだよね。そこら辺が日本でチップとか募金とかがなかなか定着というか気軽にできない理由なのかなと思った。

あ、それだけです。

2012年4月17日火曜日

「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなあ」

輪るピングドラム、面白かったけどブログにいろいろと書いてなかったので書こうかと。ピングドラムは
「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなあ」
に代表されるように愛の話なんだよ、なんでわかんないかな~。このフレーズと宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がモチーフというかバックにあるということがわかるとすげー話の構造というか流れがわかる。蠍の炎とはなんぞやもわかる。あといつだったかの朝日新聞夕刊に載ってた解説

がすごいわかりやすい。これが20話ぐらいのときに出てきてすごく理解を深めさせてくれたので未だわかんないって人は一読してみて。


小説版と公式ガイドは買って読んだからいろいろと語ろうかと。なんか自分の中でいろいろと思うところはあるけど、まとまってないのでこれを書きつつまとめたい。たぶんこの作品で描かれた愛と愛とはなんぞやは別記事で書いて語る。

ピングドラムはたぶんなかなかうまく言葉に出来ないけど感覚的にわかるって感じの作品なんだよね。だからこそわかんないって言う人がいるのもわかる。背景が荻窪とか丸ノ内線とかの現実の背景をもとにしてるから現実世界の話的に受け取っちゃうけど、これは寓話的な話なんだと割り切るといいのかもしれない。愛の話なんだよ。よく~って何ってのがあるけど、お前桃太郎で桃から人が生まれるわけないじゃんとか言わないでしょ? そんな感じ。論理的ってより感覚的なお話。

で、寓話性と完全に説明しきらなかったってとこがあるから、ピングドラムは見た人同士で話し合ってお互いが感じたことを伝え合って、やっと理解できる感じがある。いもげで見終わったあとに夜が明けるまで語り合ったのはすごくよかった。

この見た人によって違う印象があるってのはピングドラム作中の地下鉄爆破事件のモチーフになってる地下鉄サリン事件をどの年齢で見たのかってのがあると思う。90年代の亡霊に取り憑かれている、亡霊の感覚がわかるかってのが分岐点になっている。僕自身は95年は5歳の幼稚園児だったから何かすごいことが起こっているとしかわからなかったけど、幾原監督と辻村深月の対談のなかで辻村深月は「私たちは亡霊としっかり認識した上でそれを心に刻んでいる」と言っている。たぶん自分より10から20ぐらい年上の人から見るとすごい刺さるようで。


とりあえず取っ掛かりがないので主要キャラクター、晶馬、冠葉、陽毬、苹果について。上の新聞記事にもあるようにこの4人は親の愛を失った子たちなんだよね。というより多蕗とゆりも愛を失った子たちで、主要キャラクターは全員親からの愛を失っている。で、親からの愛を失った子たちの生存戦略の話が晶馬、冠葉、陽毬、苹果を中心とした話で、多蕗とゆりは愛を失った子たちがまた愛を見つけるという話。

晶馬は地下鉄爆破事件の犯人の息子でそれを負い目に思っていて、それである意味他人との関わりに一線を引いている。
「きみは、絶対に僕達を許さないよ。(略) みんなそうだった。みんな僕達から離れていって、僕ら兄妹は、三人だけで生きるしかなかった」

冠葉は夏目家の人間で親がピングフォースに入り、親が死んだことから高倉家に迎えられる。そして、いつからか陽毬のことを絶対に自分が守ると決めていた。
「俺が、お前を救って見せるからな」

陽毬は元々は見捨てられた子でこどもブロイラーに送られたものの、晶馬と運命の果実をわけあったことで高倉家に迎えられる。企鵝の会に傾倒する冠葉を止めるために自分の全てを捧げて止めようとする。
「誰かに見つけてもらえるって、すごく幸せなことだね」

苹果は地下鉄爆破事件の被害者の桃果の妹。事件をきっかけに両親の仲が悪くなったことから自分が桃果になれば、元通りになると思い、桃果の日記通りに「運命」を進めようとする。が、晶馬と出会ったことで自分は自分だということ、晶馬が好きということを知る。
「私は違うよ。私は、晶馬くんたちのこと嫌いになったりしない!」「悲しいことも辛いことも、無駄なんて思わない。それが運命なら、きっと意味があるもの。私は、受け入れて強くなる。だから」「だから、泣かないで」

真砂子は夏目家の人間で冠葉とは元々兄妹だった。が、マリオとともに真砂子は夏目家に戻される。冠葉を高倉家と企鵝の会から取り戻したいと思っている。
「言って。わたくしを大切な妹だと。(略)そうしたら、わたくしは未来永劫、あなたと一緒に呪われる」

多蕗は才能を愛する母親の下に生まれたが、弟が生まれ、自分のほうが才能がないと知ったことで自分は愛されないと思い絶望してしまい、こどもブロイラー行きとなるが桃果に救い出される。
「確認するんだ。桃果が僕に生きることを望んだ意味をね」

ゆりは美しいものしか愛せない芸術家の父親の下に生まれたが、自分は醜いと言われ改造をされていく。が、桃果が運命の乗り換えをしたことで救われる。
「桃果は私の見ている世界を変えてくれた」

まあ見ればわかる通り「ピングドラム」が冠馬から晶馬、晶馬から陽毬と分け与えられていき、最後に陽毬が冠馬に戻すから「輪るピングドラム」ということだよね。

たぶん背景の人間がピクトグラムなのは、背景の人間について自分が興味を払っていないモブだからってことだろう。大抵、主要登場人物が気を払うときはピクトグラムじゃなくなっているし。

なんかすげーぐだぐだしてきたので一旦ここで切って愛について次で語る。

2012年2月22日水曜日

アイドルマスターのササラ化とタコツボ化

丸山真男の「日本の思想」、買ったけど難しすぎて途中で投げちゃったわけですが、この中で言われているササラ型とタコツボ型、これがアイマスのこれまでと今の現状をよく表してるんじゃないのかな、と思ったので、今日はそれについて書く。

そもそもササラ型とタコツボ型とは
ササラ型:ササラ(ほうきみたいなやつ)のように端はバラバラでも根っこではつながっている
タコツボ型:それぞれがタコツボに入っているように互いの交流がない
ということ。

これまでのアイマスはササラ型、2以降もっと言えばシンデレラガールズ(モバマス)が始まってからタコツボ型になっているんじゃないのかなーと思う。

2のあの騒動で皮肉にもわかったことなんだけど、アイマスって本当に多種多様なバックグラウンドを持った人たちが集まってたんだなあと。あと、いろいろな場所で独自文化が開いてたと思う。ののワさん生み出したネ実もそうだし、思いつくだけでもギャルゲ板、ふたば虹裏may、VIP、ν速ゴマエーとある。でも、いろんな人達がいて、独自文化がいろんなところで広がっていっても同じアイマスが好きってことでなんか一体感みたいなのがあったと思う。

やっぱりそれは根っこでは、同じゲームを一通りやっているからみんなで同じものを共有できていたからじゃないのかなあと思う。アイマスにハマっている(た)ほとんどの人は、それぞれのアイドルについて1回はプロデュースしたことあるからってのもあるかもしれない。プロデュースしてないアイドルについては語るなと言われるぐらいだし。

で、2以降モバマス以降だとこの一体感がなくなった感じがある。2で竜宮小町ができて、全員が同じものを見てるという状況が失われたんだよね。あの4人はどう転んでもプロデュースできないわけで。さらに言うとモバマスでの、悪く言えばアイドルの粗製乱造でアイドルが増えすぎて、もう同じゲームやってるわけじゃないんだなーと思う。モバマスなんて課金勢と無課金勢で大きな壁があるわけで。

なんか、アイマスってよりキャラのバラ売り的な状況になってる気がする。某フォローしてる人もpostしてたんだけど、モバマスとアイマスはあれもう別モンなわけで。モバマスでなんか若干息吹き返した感もなくもないわけですが、全員が同じアイドルを同じようにプレイして、同じバックグラウンドを持っていた状況とは変わっちゃったのかなあと思う。

これまではアイドルマスターという同じ根っこを持っていたのが、2、モバマスでその根っこが個人個人で変わってしまったんだなあ、と思った。まあ個人的に言うと2もやってないし、アニマスも途中で切っちゃったんで本当にいろいろと感じる。特にアニマスの曲なんてわかんないわけで。だからさっさと3出せと思ったけど、モバマスのキャラのCDが出るということで、うんまあ、遊びじゃない方々は頑張ればいいと思います。

2012年2月14日火曜日

ν速がつぶれてネトウヨが増える

去年末から2012年が始まったぐらいまであったアフィ、ステマ祭り。結果としてν速は廃墟となり、大体が嫌儲に移ることになったわけだが、これをきっかけにしてネトウヨというか香ばしい方々が増えるのではないか。

なぜか

アフィステマ騒動の中心は2ちゃんまとめブログだったんだけど、人気どころは大抵ν速をまとめてたわけで、それが廃墟となった今、+をまとめてるようにtumblr見てる限りでは感じる。+なんて聖戦士様方が活躍している場で、まとめブログを見るような頭の弱い方々が影響されちゃってネトウヨ戦士になっちゃうのかなーと思った。

まあでも日本のネットの中心が2ちゃんから移ってる感じもするし、生暖かく見守ろうと思います。

2012年1月18日水曜日

tumblr

さんざんtumblrについて勧めてきましたが、今日日テレのZIPでtumblrが紹介されたようでついにtumblrの時代来ちゃう? とテンション上がった状態でお送りします。
とりあえず、思いがつくままにtumblrを説明するようなフレーズを書いてきます。

「自分の好きなものだけに囲まれた最高の世界」
「ネットのおいしいとこだけを読めるRSS」
「自分自身を引用によって表現」
「『キュレーションの時代』(笑)における編集者養成ツール」
「reblog、likeされることによる承認欲求を満たす」
「自分のセンスをドヤ顔で示そう」
「好きなものを好きなだけ集めよう」
「ネットのスクラップブック」
「情報の摂取と排出を一度にできる」

こんなもんすか。
著作権ガン無視的のスクラップブック的な使い方が日本だとメジャーだけど、海外だとブログよりも手軽ということで若者に広まっているらしい。twitterと同じマイクロブログに近いかも。blogと違ってtumblrは簡単に動画とか音声をpostできるし、使ったことないけどチャットもあるらへんが海外でウケてるポイントなのかも。まあ使い方は人それぞれなんでどう使おうがいいんですが、とりあえず僕の使い方を書いときます。あ、その前にある程度tumblrの概要について。

Dashboardというtwitterのタイムラインのように人のpostが流れてくるページがホーム。そこでtwitterのRetweetのように自分のtumblogにpostするのがReblog(リブログ)、favoriteするのがLike(スキ)。もちろん自分がpostすることもできてpostできる種類はblogのように文字をpostするテキスト、画像、どこかのサイトからの引用、リンク、チャット、音声、動画の7つ。twitterのように気に入った人のtumblogがあったらfollowができて、followするとその人のpostがdashboardに流れてくる。ここらへんはtwitterと似てる。で、blogと同じように自分のtumblogをカスタマイズできる。自分の気に入ったテーマをhttp://www.tumblr.com/themes/ で選ぶだけ。もちろんHTMLを知ってる人は自分でコード書いてそれを使うこともできる。あと独自ドメインに飛ばせたりページ作れたりとブログサービス以上にやろうと思えば自由度が高い。

で、自分の使い方は、自分が気に入ったのをreblog、こっそり見たいものはlikeって感じ。たまにdashboardに流れてないと自分でpostも。で、たまに自分のtumblog見返して、うわーセンスいいわーって気持ちよくなったりする。あと自分が選んだ好きなもの見返すのが子供の頃、宝物を集めてうわーと目をキラキラさせてたのに似てる。reblogされてたりすると自分のセンスが認められたようで承認欲求が満たされてさらに気持ちいい。さらにさらに飲み会で気持ちよくなってtumblrで流れてきてreblogしたpostをドヤ顔

とりあえず気持ちよくなろう、みんな。
TgrRのtumblogはこれ。
http://tgrr.tumblr.com/
なんかサークルの先輩も研究室で見てるらしいので萌え絵一辺倒になったりしてドン引かれないように、facebookのようなオフィシャルな感じで「TgrRが選ぶ至高のpost」的な感じでやってます。

まあたぶん今ぐらいの人数が一番おもしろいと思ってんでこれ以上広まってtwitterのようになっても困るんですが、ドヤ顔で語っておきます。

2012年1月9日月曜日

ピングドラム小説版とトリプルHのCD

ピングドラム最終回、泣きました。
小説版あるのは知ってたけど、最後まで見てから買おうと思ってから買って読んだ。あとトリプルHのCD、HHHも買った。両方とも買ってよかったと思えた。以下ステマ。

まず、ピングドラム小説版上巻中巻
何が良かったか1つだけ挙げるならば、登場人物の心情が手に取るようにわかるということ。これに尽きる。基本的には登場人物の一人称視点で話は進んでいく。だから、登場人物(主として晶馬)がその時々で物事をどう見ていてたのか、どう感じていたのかということが理解でき、感情移入ができる。アニメだと演出として描かれてた心情が文章で書かれているので理解できる。これが一番大きい。特に晶馬と苹果が互いのことをどう思っているのかというのはアニメではなかなか理解できなかったので、それがわかったというのが個人的な買ってよかったと思える点。
あと大筋ではアニメと話は同じだけれども、所々アニメと違うところがある。というよりアニメがコミカルに走っていた部分が変わっている。例を挙げると多蕗とゆりのバードウォッチングデートに晶馬と苹果が行こうとするところでスカンクにおならをかけられるシーンが家に残った陽毬と冠葉のシーンになっていたり、苹果がゆりに襲われる?シーンに晶馬が隣の部屋から聞きつけて乱入するも空き瓶に足を滑らせて気を失うシーンが畳に足を滑らせてゆりとの対話になっていたり……etc. アニメがキャッチーな感じなのに対して小説は丁寧に心情描写を見ていく感じ。たぶん輪るピングドラムはアニメを見て、小説を読まないとすべてが理解出来ない気がする。
とりあえず今月に発売される下巻が楽しみ。結末が若干変わると言ってたし。早く買いたい。ピングドラムは見て楽しめたけど、なんかよくわかんなかったという人におすすめ。個人的にはBD買うより小説版買ったほうがいい気もする。



次はトリプルHのアルバムのHHH。
最初、Amazonで予約注文したときは3000円って高すぎだろって思ってたけど、聞いたらまあそれだけ出してもいいかなと思った。買ってからリピートが止まらないぐらい聞いてる。緩急自在に曲があって聞いてて飽きない。
その中でもよく聞いてるのが「灰色の水曜日」


EDだと独唱になっていたのが、CDだとトリプルHの3人での合唱になっている。3人の子守歌のような優しい歌声とピアノのきれいな演奏が合っている。儚いようで力強い歌声で最後のサビの
”さあ想い出して 輝いてた頃を
夢に生きてた頃を 愛し合ってた頃を”
という部分はアニメ本編でのトリプルHが結成されなかったり、運命の人のくだりを思い出してグッと来るものがある。
灰色の水曜日だけじゃないけど、HHHの曲を聞いてるとアニメのシーンがフラッシュバックするというか内容を思い出すことがある。一番思い出すのは「HEROES ~英雄たち」 23話のEDで24話がEDなかったから実質最後のEDとなった曲。


EDの曲を背景にセリフがあるってのもあって、聞いているとセリフが聞こえる気がする。
「僕を必要としなかった世界に復讐するんだ」
「やっと僕は透明じゃなくなるんだ」
「僕らはみんな一人ぼっちなのさ」
「だからさ、壊すしかないんだ、箱を、人を、世界を!」
このセリフと歌詞の「使い古した歴史の 英雄を葬り去れ」「幻想が造り上げた 英雄を葬り去れ」が重なってすごくいい。疾走感がある曲調も相まって「英雄を葬り去れ」と言いたくなる。
他にも「Private Girl」と「イカレちまったぜ!!」がお気に入り。「ROCK OVER JAPAN」でピングドラムに引きこまれた人が多いと思うけど、さらにピングドラムの世界に引きずり込ませるようなアルバム。ピングドラムということを抜きにしてもおすすめだと思う。

2012年予想

毎年のように今年2012年の予想をしようかと。個人的にはまだ全然2012年になった実感もないんですが。年賀状も素で2011年あけましておめでとう!で作ってました。

1.今年は戦争が起きるかも
アラブの春みたいなゲリラ戦とかじゃなくて国対国の正規軍同士の。
今年は世界的に選挙イヤーで国のトップが変わる国が多い。フランス大統領選挙から始まってロシア大統領選、アメリカ大統領選、中国共産党全国代表会議、韓国大統領選。特に注目はアメリカ大統領選挙。支持率低迷に喘ぐオバマがイランへ戦争を仕掛けるのではないか。ただこないだの無人機がイランに捕獲されたとき、オバマ自身は開戦する気満々だったが部下がそれを諌めたらしいという話があるので微妙かもしれん。が、ホルムズ海峡封鎖で武力行使を匂わす話が出てきてるから、イランの核開発が進む前に一気に米英が手を組んで一気に叩くかもしれん。EUもギリシャやイタリア、スペイン等の問題があるからイランの権益確保を目指してNATOで叩くかも。まーそうなって原油価格高騰なんてことになって原子力発電が見直される流れにもなるかもしれない。
北朝鮮関連は正恩が権力確保のためになんかやらかすんではないか。ただあの国はもう軍事用の石油すら枯渇しつつあって、配給で優遇されてた兵士ですら飢え始めている状況だからなあ。窮鼠猫を噛むじゃないが、一気に朝鮮戦争再開なんてのもありうるか。韓国大統領選が今年にあって李明博がレームダック化すると見たら北朝鮮が韓国にヨンピョン島砲撃みたいな感じで挑発→韓国がそれに応戦→朝鮮戦争再開なんてパターンか。
日本が戦争をふっかけられるとしたら北朝鮮か中国だが、北朝鮮は上にも書いたが正恩が権力確保のために日本でテロというパターンか。スカイツリーあたり狙われそうな気もする。中国はなんだかんだでちゃんと計算ができるタイプだから正規軍同士のドンパチは起こらないと見る。漁民レベルでの尖閣上陸とか巡視船衝突とかはあるかもしれんが。

2.北朝鮮は今年は滅びない
上で朝鮮戦争再開なんて書いてたけど、なんだかんだで崩壊はないのでは? ただこれに乗じて中国が傀儡国家化しようとするかもしれない。上にも書いた朝鮮戦争再開も実のところ中国が北朝鮮を支援するかしないかというとこに帰結すると思う。全ては中国次第。

3.巨人優勝
はい。というか杉内と村田、ホールトン取って優勝出来なかったらどうすんだ。

4.消費税増税と引き換えに解散総選挙
ありうるか。ただ民主は地方選挙でここんとこ惨敗が多いから自分から解散というカードは切らない気もするが…耐えられなくなって切るか?

5.貧困関連でデモが起きる
Occupy wall streetが熱いけど日本だとだめだった。が、消費税増税あたりですげーデモが起きる気がする。いや実のところあの震災ですげー経済的にもダメージ食らってるからそこら辺ありうると思ってるんですがどうでしょう。とりあえずお金ください。

6.院試に合格したい
はい。勉強してください。

7.今年が日本のターニングポイント
なぜかいつの間にか世界最強の通貨「円」を手に入れた日本。これをどううまく使うかが鍵になる。でもまあ結局円高で輸出企業が死ぬパターンしか見えないんですがね。あと政治不信とか経済とかいろいろと問題山積でここいらで噴出しそうな気もするんですが、どうなんでしょう。毎年のようにターニングポイントって言ってるかもw

8.世界各地でソーシャルなデモが引き続き起きる
アラブの春に始まりOccupy wall streetのようにfacebook、twitterを用いてつながりあうデモが世界各地で起きてるけど、この流れは間違いなく続く。それも中国とかアラブのような独裁国家じゃなくて民主主義の先進国で。日本にも飛び火して欲しいと願うが……まあ匿名が主な日本のウェブ社会だと難しいだろうな。ただfacebookもtwitter実名勢も増えているからそういう下地はできつつある。

9.日本ウェブの中心が2chからtwitterへ移動する
去年暮れからのステマ連呼となったν速。まとめからくるゆとり層にしびれを切らし、もとからいた奴らはtwitterへ移動し、そこがまた新たな日本の「ウェブでは」の場所になるのではないか。日本語ハッシュタグなんて完全にVIPだし、ありうると思ってる。

10.これから来るのはtumblrとGoogle+
来るよ。今流行りのtwitterを2008年2月からやってた人が言うんだから間違いないよ。今回もドヤ顔で「あーそれ俺、~年前からやってたわー」と言いたいです。

こんなもんですか。今日、日高義樹のワシントンレポートの毎年恒例のキッシンジャーによる予想があるけど、テレビないから見れないや。
とりあえず大学院に受かりたい2012年です。