2013年1月5日土曜日

「きっと何者ににもなれない」とは何か。

冬コミで友人のところに寄稿というか書きたいこと書けよと言われて、ピングドラムの「きっと何者にもなれない」ということについて書いたのでブログにも転載しときます。

 ピングドラム大好きなんで語ります。放映前の「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」というフレーズだけで全部見たんだけど、本当によかった。泣いた。一度自分のブログで好きなだけ(読みにくい文章で)語ったんで、それを読みなおしつつまた語ります(ブログで追記:このブログでのピングドラムのラベルがついた記事)。これも読みにくいと思うけど。ピングドラムについての僕の解釈、ってことで。

■ 「きっと何者ににもなれない」とは何か。作中では親から愛されない、捨てられた子どもたちはこどもブロイラーに行き、そこで「透明な存在」になる。親から愛されなくなった陽毬、多蕗はこどもブロイラーに送られた。桃果が多蕗に「私のために生きて!」と言ったように、晶馬が陽毬に「運命の果実を一緒に食べよう」と言ったように、誰かに繋ぎ止めてもらわないと、愛されない子どもたちはこどもブロイラーで「透明な存在」になる。だが、それは作中だけの話ではない。幾原監督のブログから引用する。
あるとき、テレビで見た少女が言った。
「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の二種類しかいない」
ドキッとした。
「選ばれないことは死ぬこと」と少女は言った。 *1
選び選びとられるという関係。人は人を選び、人に選ばれて生きている。人生の最初のステージである家族を除けば、友人として誰かを選び選ばれ、恋人として誰かを選び選ばれ、先輩後輩上司部下として誰かを選び選ばれ、生きている。それが世界との繋がりだ。人との繋がりを通して人は世界の存在を認識し、自分の存在を認識されている。繋がりがなければ、孤島で孤独に生きるということと同じだ。孤島で孤独に生きている人がいたとして、その人を誰が認識できるだろうか。その人は誰を認識できるだろうか。その人はこの世界にはいない、「透明な存在」なのだ。透明では鏡を見ても自分の存在を認識できない。誰かが色を付けてくれなければ、自分の姿ですら見ることができない。他人と繋がらなければ、自分はどのような人間なのかを理解することができないのだ。どんな人間なのかを理解して、何のために生きるのかということを考える。それは世界と繋がらなければ、わからない。
 人生において最初に繋がりを与えてくれるのは選ぶことのできない親だ。親と子どもという関係で親を通じて世界と繋がっている。親の愛情を受けて世界と繋がっているうちに、人は誰かとの繋がりを得る。親が死に、最初の繋がりがなくなっても親の愛情を受けた子どもは誰かとの繋がりを得ているから世界と繋がり続ける。だがピングドラムの主要登場人物、晶馬、冠馬、陽毬、苹果、多蕗、ゆり、真砂子は親の愛を失った子どもたちだ。登場人物は皆、親の愛を誰かの愛を求め、もがいている。世界が、世界との繋がりが、見えなくなりつつある晶馬たちから見た世界は、ピクトグラムの人間が背景の世界なのだ。彼らから見た世界は灰色の世界、氷の世界。輪るピングドラムは親の愛を失った子どもがまた愛を見つけ出し、生きていくという話なのだ。

「きみと僕は、あらかじめ失われた子供だった。でも、世界中のほとんどの子供たちは僕らと一緒なんだよ。だから、たった一度で良い。誰かの愛してるって言葉が必要だったんだ」
「そうね 」たとえ運命がすべてを奪ったとしても、言葉や記憶が消え去っても、愛された子供はきっとまたしあわせを見つけられる。桃果が、ゆりや多蕗に残してくれたもの。それがあるから、ふたりはこの答えに辿りつけたのだ。
誰かとの繋がりによって僕らは自分の存在を認識し、世界を認識している。誰かの愛がなくては僕たちは生きていけない。「きっと何者にもなれないお前たち」というのは、愛を失い、誰かとの繋がりを失い、この世界が見えなくなった人のことを言うのだと僕は思う。自分は何者であるのか。その答えを与えてくれるのは他人である。繋がりを失い、自分は何者であるのかを失いそうになった時に世界に繋ぎ止めてくれるのは、桃果が多蕗とゆりに差し出した手のように、誰か一人のためだけに差し出された愛なのだ。

■ 輪るピングドラムを見終わった後、僕の中で涼宮ハルヒの憂鬱に対する見方が変わった。ハルヒは自分が特別ではないことを知ってしまったから、行動を起こし、SOS 団を作り、自分は特別だと思おうとしてる。納得したがっている。自分は何者であるのか。中学生のころから様々なことをしても面白いことはやってこない。憂鬱だ。世界は灰色で壊すべき世界だった。だが、ハルヒはキョンと SOS 団のメンバーと出会った。キョンとの繋がりによって世界は灰色ではなくなった。「きっと何者にもなれな」かったハルヒは何者かになれたのだ。涼宮ハルヒの一連のシリーズはハルヒから見ると、自分自身が何者であるのかを探そうとし、キョンという特別な存在を得ることで自分が何者であるのか知るという話とも解釈できると僕は思った。

■ とまあここまでgdgdと語りましたが、どうでしょうかね。ピングドラム作中で語られた愛は受け手も大事って話とかオウムとの関連性とか運命と呪いと愛の話とかもしようかと思ったけど、まとまらなくなりそうだからやめた。ピングドラム好きな人はピングドラム小説版と公式完全ガイドブック買おう。藤津亮太のコラムがおすすめ。あと直木賞取った辻村深月が幾原監督と対談してて、その後のコラムも結構好き。

*1 http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417
*2 輪るピングドラム小説版下巻 p232







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