2012年9月27日木曜日

マイナスからのスタートの安倍新総裁

安倍晋三が昨日、自民党の総裁に復帰というかまたなったわけですが、悪いこと言わないからやめとけと。安倍はそもそも政策以前に、 ストレスが原因の一つである難病の潰瘍性大腸炎による体調不良で一度政権を放り投げたという悪い実績がある時点でもう無理なんですよ。今度の衆院選では自民が政権復帰かと見られている中で、一度ストレスによって体を崩した人間をまた首相という非常にストレスがかかる役職につけるのかと。いや、本人や信者というか支持者というかサポーターの方々は新薬で完治したと言ってますが、実を言うと僕の母親もこの潰瘍性大腸炎患ってて曰く「完治というのはありえない」と。「一生付き合っていかなきゃいけない病気」なわけです。完治したように見えるのは今の状況においてだからであって、また非常にストレスがかかる状況ではどうなるかわかんないわけです。

どこまで行ってもまたストレスによる体調不良で投げ出すんじゃないかという疑念がつきまとうわけです。そして、次回の衆院選の結果で安倍晋三が首相になり、この潰瘍性大腸炎で体調不良を起こしてまた放り投げた場合、安倍自身の政治生命が絶たれるのはもちろん、自民党はもはや解散せざるを得ないレベルのダメージを受けるであろうと。そのリスクを背負ってまで安倍を選ぶのかと聞きたいわけです。そこまで自民党に人材がいないのかと思ってしまうわけですが。

さらにこの体調面のマイナスとともに、マイナスイメージも大きいのではないかと思っています。
まずは前回の政権運営の時では叩けば埃が出る身体検査の甘さ、投げ出しは国会を開会して所信表明したのに辞任という最悪のタイミングと、もう脇が甘々でした。カツカレー3500円の件ですでにもうネットで真実の方々は「マスゴミの偏向報道」と息を荒くしてますが、マスコミが報道せずともあの衝撃的な辞め方は忘れてない人が多いはずとともに、「マスゴミ」と民主党に絶好の攻撃されることになるはずです。「突然政権を投げ出した人に、また政権を任せられるのか」と。

現状約7割が無党派支持政党無しと世論調査で答えていて、前回の衆院選は「自民にお灸をすえよう(棒読み)」という空気でこの無党派支持政党なしの層が動いて民主党政権が誕生しました。で、今回は「やっぱり民主じゃなくて自民じゃないとダメなのか」という空気が漂いつつあるから次に総選挙やったら自民党政権ができると言われているわけですよ。それなのにある意味「お灸を据えた悪い自民党」のイメージがある安倍がまた総裁になったということは、「自民は反省してないのか」というイメージがつきそうにも思えるとともに、これもまた攻撃の材料を提供していると思うんですがどうなんですかね。

地方票という党員の「民意」は石破だったのを永田町の論理で安倍を持ちだしたのは、またそれもイメージが悪いとともに、地方には不満がくすぶってて政権奪還とかいう前に党内の調整に忙殺されるのではないかと見てます。選挙前に党内がらみのストレスがかからないといいですね(棒)。

まあこんなマイナスが多いからこそ、民主党のほうから安倍新総裁誕生を歓迎する声が出てくるという笑えることになってるわけで。よっぽど政策やカリスマ性などでこのマイナスをカバーしなきゃいけないわけで大変ですね。無難に石破にしておけばよかったのに、国会議員の方々の投票でなんで安倍なのか、庶民の僕にはわかりません(笑)。

結構いろんな人が言ってますが、悪いこと言わないからトップじゃなくて影から操るなり、ブレーンになるなりしたほうがいいはずです。リスクやマイナス面を考えると。個人的には次の選挙、これどうなるかわかんなくなったと思ってます。野田は官僚の言いなりだとよく言われてますが、官僚の言いなりだからこそ鳩山菅のような敵失は期待できない状況で、追い風が吹いているとは言えマイナスからのスタートで次の選挙はどうなるのか、注目です。と他人事のように言って終わります。

2012年9月14日金曜日

天皇が常に上座というデマ

もう派生とかでいろいろとめちゃくちゃにいわれてもう嘘も百回言えば本当みたいな雰囲気になってるですが内容としては、席次は天皇>ローマ法王>イギリス女王>その他的なあれ。あとアメリカ大統領が唯一、敬意を払う3人とかいうあれです。

嘘だから。デマだから。エンペラーとか訳されてるからとか皇帝だからだとかいろいろと言ってますが、基本的には在位期間順で並びます。というより常にトップ3じゃないってことは今年のエリザベス女王即位60周年の時の写真を見れば、そんなのすぐわかることなんですが。
http://diamondjubilee.hellomagazine.com/queens-jubilee/news/galeria/201205181004/windsor-castle-lunch/1/#17
見てもわかるように中央がエリザベス女王で天皇陛下は左端。で中央から在位期間順に並んでるわけです。

昭和天皇時代は在位期間が一番長かったからもちろん上座に座る機会が多かっただけで、常に一番なわけじゃないです。

そもそも国家元首が一堂に会したときに天皇だから上なんてことをしたら角が立つでしょ。外務省のプロトコールのページにもあるけど

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/local/inspection/protocol.html
イ.序列と平等
国の大小に関係なくすべて平等に扱う
席次に準じた序列(例:駐日大使の序列は、着任順が原則)
誰もが納得するルールに従う

なわけです。もちろん王族等の世襲元首≧大統領という傾向はありますが、同じ格だったら在位期間順なわけ。

そもそも言えば、イギリス女王がアメリカ大統領がローマ法王が天皇に敬意を払っているから天皇に敬意を払うのか? 違うだろ。他国が敬っているから天皇陛下を敬えなんて、侮辱にも等しい行為。

東日本大地震で出したメッセージとか人柄とかいろいろと普通に敬えることがあるのに、無駄にこうやって天皇は一番(その天皇の臣民である僕も一番的思想)とか言って皇室に泥塗るからネット上の自称愛国者って嫌い。

2012年9月13日木曜日

院試の勉強法~合格者がドヤ顔で語る~

 大学院合格しました。総合研究大学院大学物理科学研究科天文科学専攻と東京工業大学地球惑星科学専攻地球惑星科学科。いやー本当に合格できてよかったです。合格できなかったら9月から就活か本気で筑波山山中で野垂れ死にを考えるぐらい追い詰められてたので。

 ここで合格したという完全に上の立場から来年院試を受ける後輩に自分がどう勉強したかやアドバイスなどをドヤ顔で書こうと思います。気持ちいいいいい。自分が勉強したことや院試での体験振り返ってから、最後にアドバイスでも書こうかな、と。アドバイスだけ読めばいいよ。

いつから勉強したか

院試を意識しだしたのは年明け(2012年入って)から。でも3月ぐらいまではなにもやってないです。ただ3月にTOEICを受けました。実はこれが後々に効いてくることに。3月の春休みに大学院入試問題集(後述)は買いました。でも本格的にやり始めたのは6月から。研究室の同期のやつが院試2ヶ月前にも関わらず、カナダに留学している彼女に会いにカナダ旅行したことで、これは絶対に負けられないと意識してから一気にスイッチが入ったのが大きかったです。あと7月頭に受けた筑波大の推薦落ちたことで本当にこれが背水の陣だと認識してさらにもう一段階スイッチ入って追い込めたのも。

どんな勉強したか

 まず物理と数学について。サイエンス社の大学院入試問題集4冊を買い、

大学の図書館から借りた力学演習と研究室にあった詳解電磁気学演習と微積の演習の授業で使った演習書の計7冊を問題と解答をひたすらにノートに写すことをほぼ5周。+8月あたりから青木定雄 光学入門を少しかじる程度。

6月という2ヶ月前になってやっとスイッチ入ったので時間的に間に合わないだろうということで統計力学と量子力学はほぼ捨ててました。ただこれはある程度根拠のある博打で、まずそもそも総研大天文と東工大地惑においては物理の分野においては過去問を見る限り、ほぼと言っていいほど統計力学と量子力学は出ておらず、量子力学が出たとしてもトンネリング、ということで捨ててもいいと判断してました。その代わりに2大学とも光学の問題が出ることがあるので光学は演習大学院入試問題なり光学の本を読むなりして対策を立ててました。
 あと、傾向的に今年はケプラー問題と電磁波が両方で出ると予想してそこ張ってました。結局張ってたのは当たってたんですけど、やり込みが足りなくて完答できなかったのが悔しいというか自分の勉強不足を実感することとなったわけですが。
 あとまあはっきり言っちゃうんですが、問題は「解いて」ないです。解答を「覚える」ようにしました。これ高校のときの物理の教師、というか恩師なんですが、に大学受験の時に言われたことで、物理で点数取りたいだけならもう問題の出題パターン全部覚えろと(期末テストや理科大ぐらいまでの中堅までの話)。お前らのない脳みそひねったってその場で解けるわけがないんだから予め解答を覚えるしかない、しかも大学受験の物理の出題パターンなんて限られてるんだから、と。大学受験はACでさっさ受かっちゃったんでやらなかったんですが、院試では時間なかったんで理解とかすっ飛ばしてこれやりました。やり方としては問題を1回写すごとに一を書いて正の字を作るまでやれ、もしくはもう覚えたらチェックつけてもうその問題は二度と解くな、ってやつです。これでやりました

 これで6月からのほぼ2ヶ月で大体30ページのノート20冊を仕上げました。↓の写真ね。

 英語に関しては東工大はTOEICスコア提出だったので3月に受けたTOEICのスコア提出のみで100点取りました。730で100点換算のところ740で提出できたのでこれはでかかったです。物理と数学受ける前から500点中100点確保してるわけですから。総研大は英語があったわけですが、iknow!という昔smart.fmだったところに課金してひたすら単語覚えました。課金し始めたのはまあ2週間前だったけど、昔無料だったときにやりまくっててある程度単語を覚えてました。これ書いていいのかわかんないけど書いちゃうと、総研大の英語はnational geographicとnatureのコラムでの長文読解と読売新聞の金環日食時の記事の一部の英訳。

志望理由書など

これもしかしたらみんな舐めがちだけど、結構書くのに力入れました。やる気アピールみたいなもんなので、ここで差をつけないと実力ない僕はだめだ、とは思ってので。願書提出時に出すわけですが、願書提出始まる1週間前までに確か草稿から最終稿までなんども推敲してました。
 筑波も含めて3つ出したわけですが、なぜ大学院に行きたいのか、なぜその分野に興味を持ち、研究をしたいのか、なぜその大学院に進学したいのかの3本柱を意識して全部書きました。まあACで入学したのでこういうの書くのは得意ってのも大きかったです。
 僕はすばる観測実習なりそういう天文系のイベントに参加してたので、自分が大学院に進むためのストーリーというかそういう道筋みたいなのが話せるというのは強みでした。~に参加した→そこで研究の楽しさを知ったみたいなストーリーね。2年とかでまだ時間ある人はこういうイベントに参加しておくと後々困らないかもね。

面接とか

 東工大のときは凵状に先生方が並んでて被告人席みたいな感じで座って志望した先生からの質問に答えるという形式でした。質問内容は筆記試験の結果はどうだったか、勉強はどのようにしたか、志望理由、博士課程に進む気はあるか、他に大学院受けているところは(任意)だったかと。
 総研大は記者会見席というか自分1人前の席に座っていろんな先生からの質問を答えるという形式。質問内容は志望分野の志望理由、自分の長所、この分野は世界中で競り合ってるけど自分のオリジナリティというかアイディアはあるか、筆記試験の出来、クイズみたいななぞなぞ(答えられなかったら入学して半年学んだらわかると言われた)、志望指導教官がバッティングしてるけど教官を変える気はあるか、質問はあるか、他にどこの大学院を受けているか。
 時間は東工大が大体10分ぐらい、総研大は15分ぐらいだったかと。当たり前かもですが、両方ともスーツで面接は受けました。東工大は内部っぽいやつは私服だったけど。東工大で内部のやつには「どんな質問が来ると思った?」という変わった質問も来たっぽいことが控え室で聞き耳立ててたら聞こえました。
 あとこれ余談ですが、両方の面接で教員の人たち笑わせました。東工大のほうは「筆記試験の出来はどうでしたか」という質問に対しての答えの中で、「舐めてたわけじゃないですけど、もっと勉強すればよかったです」という答えの「舐めてた」の部分で先生方笑ってました。たぶん苦笑い。総研大は「他に受けている大学院を教えて下さい」ということに対して「東工大の地球惑星科学」と答えたら「筑波は受けなかったの?」と聞かれ、「東工大と日程かぶったんで受けられなかったんです」と答えたら、司会の先生が「あーじゃあこれ○○先生(志望した先生)の責任重大だ」って言ってみんな笑ってました。

勉強法のアドバイス

 自分の物理の後輩と天文に進む後輩を念頭に置いて書きます。とりあえず現時点、院試まで1年から半年ぐらいまであるという状況を想定してます。ちなみに僕みたいな邪道じゃなくて正攻法でね。たぶん理想論。あと後悔したこととかも書くつもり。
 まず何から勉強したらいいか、の前に当たり前ですが行きたいところの過去問を出来るだけ見ましょう。どこの分野からどんな問題が出ているか知るということがまず大事です。で実際に過去問が解けるかとまではいかなくても解法が思い浮かぶどうか。現時点で問題が半分以上解けるなら勉強する必要無いです。たぶん普段から勉強して実力ある人なので、院試2ヶ月前の6月とかから過去問解いて慣れて受ければ普通に筆記は受かるでしょう。で、まあ僕みたいに現時点全く解けないと。全部勉強しなきゃいけないという人に対して。
 時間のかかる順と出題頻度を考えると物理志望なら統計力学、微積、線形、物理数学を先にやり始めるのが個人的なおすすめ。特に統計力学は僕自身が苦手だったってのもあるけど、物理学専攻というとこなら間違い無く統計力学出るので用意しましょう。得意ならいいんだけど。天文志望になるとまた話が若干変わってきて、統計力学量子力学の比率が落ちて力学が出る確率が上がります。
4年に上がるぐらいまでは自分の不得意で頻出の分野を優先しつつ、過去問で出てる分野の演習書や教科書を(理想でいうと)5周ぐらいして仕上げたい。まあ5周しなくても普段から勉強してる人なら2周ぐらいで大部分はカバーできるだろうけど、僕みたいにできない人は覚えるか完全に解けるまでね。で、演習書選ぶ時なんですが、もちろん過去問を見て同じような問題が載ってるやつを選ぶこと。あ、ただこれある程度まともに授業受けててやれば思い出すレベルからだから、本当にダメならまだ時間あるから入門書というか易しいの1冊先に仕上げたほうが後々楽かも。で、過去問や演習大学院問題集やるわけですが、これ上でアフィリンク貼っておいて言うのもなんですが、演習大学院入試問題は「買わない」ほうがいいです。あれはっきり言うと、誤植とか間違いが半端なく多いんで、理想は研究室とかに置いてある先輩の訂正が入っているお古をもらったほうが捗ると思います。
 
 で、目標ですが院試1ヶ月前には過去問が解けるレベルを目指しましょう。それができればまあ上の勉強法なんか無視していいです。ちなみに僕は1ヶ月前でこれいけるんじゃね…?ぐらいでした。

 書くの忘れてましたが英語ですね。これが実は厄介で英語って著作権の関係から過去問公開してないとこ多いんですよ。僕が受けた東工大地球惑星のように英語の試験なくてTOEICのスコア提出ってとこも(稀に)あるんで、12月、1月ぐらいにはTOEIC1回受けておいたほうがいいかな、と。社会系の英語力要求されるところでも800以上取れば100点換算されるので800目指しましょう。800は無理って人でも上で書いたようにnational geographicやnatureのコラム(もちろん英語)を読んでそれを理解できるレベルにはなりましょう。たぶんですが、ナショジオとnatureとあと普通の論文をスラスラと読めるんなら英語勉強する必要ないと思います。

 あと地味にですが志望理由書。これ大事です。むしろこれ書いてる時点ではまだ就活始まってないんで今一度、「なぜ大学院に進むのか」「なぜこの分野の研究をしたいのか」について考えて答えを出してみましょう。ここをはっきりしておくと面接の時とかに詰まらなくて済むと思います。

院試勉強が辛いときに支えられた言葉とかプレッシャーとか心構え的なとかあと感想みたいな

「勉強量と不安は反比例する」
これは本当。すばる春の学校でM1の方から言われた言葉。やればやるだけ自信がつきます。不安なら手を動かして勉強しましょう。先にやり始めたもん勝ちです。

同期のライバルを想定する(できれば他大のやつ)、仮想敵を作る
同期で同じ分野進むだろうとわかってる人がいたら、もし自分が気を抜いているときにそいつが歯を食いしばって勉強してると思うと気が抜けません。あとそいつに抜かれたら非常に悔しいので。同じ大学のやつだとダメな部分も見えるんで、仮想敵を作るなら他の大学のやつにしましょう。

「院試受かったらお前ら後輩にドヤ顔で勉強法説教してやるよw」と後輩に宣言する
このビッグマウス効きます。実際にサークルの後輩に言いました。受かればまあまさに今このようにドヤ顔しまくりなんですが、これだけ言っといて万が一全部落ちて行き先なくなったら恥かくとかいうレベルじゃないわけですよ。落ちたら間違い無く向こう10年ぐらいは「昔さあ、ドヤ顔で後輩に院試受かったら説教してやるとか言いながら院試落ちた先輩がいるんだよwwww」って言われます。まあそれは必死で頑張れるわけ。とりあえず強気強気で言いまくって、自分にプレッシャー与えましょう。言霊じゃないですが、弱気厳禁で。これ勉強するモチベーション出ない人におすすめ。

「世界は「選ばれる人」と「選ばれない人」の2種類しかいない」「選ばれないことは、死ぬこと」
これピングドラム監督の幾原邦彦のブログにあった言葉(http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=417)で、基本的にはこれ思ってました。まさに負けたら、選ばれなかったら死ぬしかないという院試2ヶ月前あたりからは本気で思ってて、相当思いつめてました。

これで院試受かんなかったらスパっと就活するか(ブラック一直線)、冒頭に書いたように死ぬかと思いつめてました。院試浪人は全く考えてなかった、というかここで必死こいて勉強できないようならそこまでして大学院進む意味は無いと心の奥底では思ってるってことでしょ、ということと院試ごときで落ちるんなら大学院行っても研究できる才能がなかったんだな、ということを思ってました。まあ完全に背水の陣ですね。

あと、研究者になりたいとか受かりたいとかの願望はもう甘え。松坂大輔とかいろいろアスリートが言ってたと思うんですが、夢はかなわないと。やるんなら目標、絶対に自分はできるという強い意志が必要みたいな言葉。

はっきり言えば院試の勉強の辛さは今後の研究での辛さのデモンストレーションだと思ってます。自分を信じて努力できない人に新発見なんかできないでしょ。

最後に

まあここまで散々ドヤ顔で言ってたわけですが、いろいろと。実際受かると嬉しいんですが、それととともにここからが本当のスタートなんだな、と今思ってます。不遜ですが、自分の才能というものが本当にあるのか、それを大学院で確かめたいと思います。同じルート辿っためちゃくちゃできる先輩が6つほど上にいるんで、その先輩を目標にするとともに、自分が後輩たちの目標となりたいな、と思ってます。とにかく実力、実績で全てをねじ伏せられるような大学院生になるよう精進します。

追記(2013/09/11):
この記事のページビュー数が2万に届きそうで驚きました。あと、同期の後輩がなんかこのブログ読んで(それがきっかけかどうかは知らない)が受かってもし進学してきたら同じ部屋になるというのも驚きました。というか笑った。

2012年9月9日日曜日

努力するやつは勝てない

努力するやつは勝てないと思う。はっきり言うと、勉強とか努力とかしてしまう時点で負け。もう絶対に努力を努力だと思っていないやつには勝てない。

僕自身が怠惰なんで、努力しないで結果出すのが一番いいと思い込んじゃっている。あとベースとして結果=才能×努力というのも思ってるから、努力する=才能がないというのも。

でも実際は、できる才能あるやつほど努力してる。才能があるという言葉は、努力の仕方がうまい人のことを言う。努力を苦しいものと思ってるやつは、(他人から見た)努力を楽しんでいたり当然と思ってるやつには絶対に勝てない。

好きな文章を引く。
私は高3です。今年野球部を引退しました。
小5から野球を続けていましたが、決して上手くはなかったです。それでも、努力すれば結果が必ず返ってくると信じてやってきました。
結局、最後まで結果は残らずに終わってしまいましたが、粘り強さと根性を…
と、これは面接のときに言う台詞にしか過ぎません。私が本当に欲したのは野球の上手さです。実際に、私と同じような人は大勢います。その中でも、結果が残る人はわずかです。そういう人たちを基にした話が、「やればできるんじゃないか」という気にさせてくれるのだと思います。しかし、私は本来欲しかったものに手が届かなくて、悔しさと虚しさでいっぱいでした。この記事を見て、省みさせられました。
しかし、私は研究者になるために大学へ行きます。研究者は自分の論文が評価されなければやってけない仕事です。そこでまた挫折を味わうかもしれません。むしろ、そうなることを確信しています。自分は、呼吸をするように勉強をしている人間ではありません。そういう人間には足下にも及ばないでしょう。
それでも私は進みたいと思います。根拠は、生き物らしく生きるためです。私がしたいことをしたいからです。この考えはバカで無謀で愚策かもしれません。でも、バカっていうのは悪いことじゃない気がします。「バカだな俺は、どうしてこんな道選んだんだよ」というのが私の夢です。運良く成功したらそれとなく喜びます。
なんにしても、難しいフィールドで競争することが人間、いや、生物にとっての淘汰であり、人間が生き物らしく生きるための「生存戦略」であると思います。

私は、きっと何者にもなれないということを、わかった気でいるのでしょうか?

「きっと何者にもなれない」者だから、努力をしなければいけないのかもしれない。

2012年9月8日土曜日

日本社会における地位の非一貫性について

メディア社会学という講義で書いたレポートですが、我ながらよく書けていると思うので多少文章の接続あたりを手直しして置いておきます。テーマはタイトルの通り。


 日本は地位の非一貫性のみられる社会であり、欧米諸国より日本は非一貫である程度が高いようである。近代社会では建前上は、学歴あるいは能力によって、誰にも上に行くチャンスが開かれているが、学歴が実際は世襲の隠れ蓑に使われるというのがブルデューの指摘である。財産面での地位の非一貫性の理由として相続税で多く持って行かれることで階層再生産の循環は断ち切られ、教育投資で残すということになる。が、終身雇用により大企業の高卒が中小企業の大卒より生涯収入を上回ると言うことがあるように、学歴が終身ストレートにいい就職や収入につながるわけではなく、単にそれらのチャンスが増えるというだけである。日本の地位の非一貫性の大きな原因は、職業や職業上の地位に伴う収入の格差の相対的な少なさが、根本的な原因としては大きいものと思われる。地位の非一貫性のメリットとしては国民統合が図られ、平等意識が広まり、社会の不安定要因が取り除かれる、ということがある。デメリットとしては階級意識、階層意識の欠如、職場、過程と言った場以外での規範、行動様式の曖昧化、平等があるゆえの嫉妬心、目に見えない形での不平等に対する感覚が鈍くなる、などがある。日本の労働者は「労働者階級」として自己意識する傾向が弱く、自分を「中」として規定しようとする。持ち家志向も無理してでも家を持てば「中の下」になれるという思いがあり、また子どもの学歴をよくするということで地位上昇を目指していた。


地位の非一貫性のある社会の、社会としてのメリット、デメリットについて
・メリットについて
世襲で地位が決まるのではなく、その人自身の能力により地位が決まる、つまり能力主義が徹底される。それにより、社会において階層が固定化することへの不満がなくなり、社会が安定すると思われる。また、様々な人が混ざることによりマンネリ化が打破され、新しいイノベーションが起こるのではないだろうか。

・デメリットについて
 階層が固定されないので階層に対する意識が低く、規範が曖昧になる。成金が金にものを言わせている様がよく言われる例である。富裕層においては貧しいものへの再配分をするのが規範であったり、ノーブレス・オブリージュのような「持てる者」の規範であったりが成金には受け継がれない。また、下に位置する人はその地位に甘んじているのはその人の能力によるものだと思われ、下位層に対して軽蔑など社会から疎外される。建前上は誰でも地位を変えることができるはずだが、それを隠れ蓑にして世襲が行われ、支配階級の支配の永続化が図られ、支配の正当化、「持てる者」は絶対的に偉いということが起こりうる。


 日本の地位非一貫性ということにおいては世襲がなされているか否か、ということがポイントとなる。国会議員の世襲については報道されることが多い。世襲となる議員の数は衆議院で現在86人[1]であり、約5分の1は世襲議員となっている。また、企業などでは同族企業で社長・会長を同じ家から出すということがある。世界的企業トヨタでも創業家豊田家から社長が出ている。伝統分野においては世襲は多くなり、歌舞伎が何代目襲名などで有名である。このように世襲は多くの分野で見られている一方、高度成長時代においては地方からの上京し、農家の息子からホワイトカラーとなった例が相次いだ。

 日本の地位が非一貫性である、というのは高度成長時代において地方から上京し、ホワイトカラーとなったという例から考えられているのではないか。江戸時代に士農工商として固定化され、明治維新以降においても貧しさから地位が固定されてきた農民層が、高度成長時代においてホワイトカラーとなった例から日本の地位は非一貫性ということが導かれていると私は考える。高度成長時代においては産業のシステムが大きく変わり、ホワイトカラーが多く求められ、そこに農民層が転向し、結果として地位が大きくシャッフルされたのではないだろうか。


 戦後の日本は地位非一貫であるという幻想を抱き、平等神話を信じてきた。が、それは経済のパイが拡大することによってであったり産業のシステムが変わったりであったりによってであり、それらの時期を過ぎれば貧困の再生産や富める者は子も富める者のように地位が固定されていく。

 社会のシステムが安定している時において世襲は行われやすくなる。同じ能力であってもスタート地点が違えば結果として地位が固定される。400年も平和が続いた江戸時代は究極の世襲社会である。

 逆に社会が変革するときにおいては下克上など完全な実力主義となる。明治維新であったり戦後の復興であったりはまさにその例である。変革している社会においては世襲させようとしている親は旧世代であり、その親によるアドバンテージはほとんどなくなる。

 結局のところ、地位非一貫というのは社会の安定というものがキーになっていると私は考える。社会が安定していれば世襲が行われ、地位が固定されていく。逆に社会が変わっている時であれば、世襲が意味をなさず、地位の非一貫になる。日本が地位の非一貫社会であるという幻想は高度成長が成功したことによる成功神話なのである。

[1] http://www.shugiingiin.com/ses.html

2012年9月5日水曜日

「優しい人」は「優しく」ない

 妹がそうなんですが、いわゆる「いい人」や「優しい人」の大多数は心の中にどす黒いものを持ってると思ってます。外面よくて内弁慶な妹が「~には~してあげたのに」とか「~が~をする理由がわからない、馬鹿なの」とか家でよく愚痴ってることが多いせいだと思うんですが、「いい人」「優しい人」って「~してあげたのに」ってことを大なり小なり思ってるはずじゃないんすかね。

 でもそれって結局のところ、「いい人」「優しい人」がやってることが本当の優しさじゃないってことなんだと思うわけです。いわゆる「いい人」や「優しい人」ってのは、他人に対して寛容で他人のために何かしてあげられる人のことで、例えば困っている友人がいたら助けてあげるような人のことをそう言ってるわけです。でも、もしその友人が助けて当然だとか礼を言わなかったりしたら、その「優しい人」は絶対後で愚痴を言うわけですわ。「あいつのために助けてやったのにあいつは礼の一つすら言わねえ」と。そこで友人の縁切ろうがまあどうでもいいわけですが、やっぱりそれは感謝の言葉という形で見返りを求めてるわけなんですよ。

 togetterのどっかのまとめであった喩え話で好きなやつなんですが、あなたは空腹で死にそうな状況におかれています。その時におにぎりが目の前に1個あります。近くには同じように空腹で死にそうな状況におかれている人がもう1人います。「優しい」あなたならもちろんそのおにぎりを半分にしてその人に半分わけてあげるでしょう。でも、わけてもらった人は礼も言わずに立ち去ってしまう。そうしたら完全にバカを見て、愚痴るわけです。「あんなやつに貴重なおにぎりをわけてやるんじゃなかった」と。

 でも本当の優しさってのは、そこで相手も同じように空腹で苦しいだろうから、もし自分が分けてもらえたら嬉しいだろうからと自分が「勝手に」思っているから、空腹で死のそうな状況でもおにぎりを半分にしてわけてあげることができる気持ちのことを言うと思うんですよ。そこには相手からの礼とか見返りとかじゃなくて、もし自分がしてもらったら嬉しいからというただ自己満足のみがあるだけ。だからもし礼を言われなくても、相手は嬉しくなかったのかなとかまああれは自己満足だったからと愚痴らないわけです。ネットでの伝聞レベルがソースなんですが、国境なき医師団の人も「好きだから」「自分がやりたいからやってる。そうじゃないとできない」と言ってるらしいです。

 いや別に見返りを求めてても、偽善だろうが他人のために自己犠牲できることは優しさじゃないのかと思う人もいるかもしれません。けどそれは「優しさ」じゃないです。打算と言います。もちろん自分のやってる行為が打算とわかった上で偽善を行うのは別に止めないし、なんとも思わないですが、ただの打算を優しさと勘違いするのはやめていただきたい。

 さらに言うと打算ではないけれど、他人から嫌われないために人に「優しく」してる人。そんな他人に対して我慢しすぎてどうすんの。まあ妹がこのタイプなわけですが、程よくガス抜きできないと「私はずっと我慢してるのにあなた達はわかってくれない」的なことを言うわけです。面倒くさいですね。はっきり言うと、他人の気持ちなんて絶対にわかるわけがないんですよ。よく~だったら、とか言って他人の気持ちを理解できるエスパーがこの世には多く存在してるようですが、そんなのは幻想に過ぎません。他人とは完全にわかりあうことなど絶対にないし、もしそうだと思ってるならそれば自分のエゴに過ぎない。自分は我慢して他人に優しくしてるとかいうオナニーをした挙句の果てに、私の我慢をわかってくれないなんて爆発するのは迷惑すぎるんで、さっさとその自称「優しさ」はやめてください。

 大体日本ですら1億人もいるんだから別に目の前のやつに嫌われてもいいじゃんと僕は思ってます。他の1億人がいるし。そいつとはそりが合わなかったんだからしょうがないと割り切ってます。さらに言えば日本中の1億人から嫌われても全世界には先進国に限定しても10億人ぐらい人はいるんすよ? 文字通り「人がゴミのよう」なくらいいるわけですわ。いやもちろん目の前の人に対するリスペクトは必要ですが、目の前の人にこだわる必要もないわけです。嫌なやつとも付き合ってかなきゃ…とかいうけどじゃあ環境を変えればいいわけで、変化することができないのは甘え。

 結局、「優しい」とか言っているけど、大半は打算か甘えなわけですよ。優しさというか他人に好意からしてあげる行為に対しては、それが自分がしたいからしているという自覚が必要だと僕は考えています。

 たぶんこんなん書いちゃうのは輪るピングドラムが大好きな影響。好き嫌いはっきりわかれるとおもうけど、みんな見よう(ステマ)

2012年9月4日火曜日

東京にオリンピックを誘致することによる都市の再開発

東京に2020にオリンピック招致するのかとかについての所感というか思ってることについて。

オリンピックを招致する目的は実のところ東京の再開発のためじゃないか、と思ってる。というのも1964から今年で48年。1964年の時の東京オリンピックを契機に立てられた首都高のインフラがそろそろ老朽化が気になってくる年代。公共工事の予算が減らされている中で、都市の道路等のインフラを更新するためにはオリンピックという大義名分の下でしかできないのではないか、と。

http://www.pwri.go.jp/caesar/overview/02-01.html
にもあるように、1960年代に整備された橋などのインフラはこれから更新などが必要な時期に入ってくる。本来であるならば、公共工事の予算を増やしてこれらを更新するなり、予算が増えないのならばこれからの人口減少へ向けてどれを更新してどれを捨てるのかの取捨選択を行わなければいけないわけ。

で、東京。東京の問題は首都高と建物の過密化。首都高は老朽化とともにあの突貫で作ったあのジェットコースター道路。地下化するなりして首都高の流れをよくするように建て替えるべき。三環状が出来ればまた違ってくるのかもしれないけど。

それとともにお台場の活用。お台場はまだまだ土地余ってるんだから、そこに都心中央からいろいろと引越しさせて都心を空けて、再開発なり公園にするなりして近い将来来るであろう首都直下型地震への備えをするべき。

まあこの2つはオリンピックがなくてもやらなくちゃいけないことだと思ってるけど、オリンピックという大義名分がないと予算がつかないだろうな、と思う。

2012年9月1日土曜日

声優の芸能人化が行き着いた先のココロコネクト騒動

ここ数日ココロコネクトでのいろいろな騒動が話題になってるわけですが、これを聞いた時に思ったのは声優が芸能人、芸人化として行き着いた結果起きた騒動なのかな、ということ。わかんないひとは「ココロコネクト いじめ」あたりでググって。

はっきり言ってしまえば、今回のドッキリのレベルとしては電波少年とかであったバラエティでのドッキリのレベルでしかない。昔のドッキリはもっとやさしかったとか言ってるバカがいるけど、それこそ電波少年での猿岩石のヒッチハイクのレベルに比べれば、マシなレベル。まあ賢い方々はそこら辺わかってて、声優とか夢を追ってる人にそういうのをやらせるのはひどいという論調で非難してるわけ。

しかしだ。そもそも声優にドッキリを仕掛けて広報をさせるなんて企画が持ち上がって通ったのは、声優をアニメのスタッフの一部として見るのではなく、芸能人として見るのが主流となってきた空気があることが原因じゃないのか。声優がアニメで声をあてるよりもトークをやったりライブをやったりと、声優が前に出てくることをファンが望む空気があったわけじゃん。制作側から見たら、ファンが声優が出てくるのを望んでる上でさらに話題を集めることとして、声優が広報をするという考えの結果でしょ? ファンが声優が演技だけじゃなくて、前に出てきてライブだったりアイドル活動だったりトークだったりのプラスを求め、むしろ本業の声優以外の方がメインになってるんじゃないか。アニメに声をあてている人が声優ではなくて、声優がアニメに声をあてるとして見てるやつが多いんじゃないか。だから発表当時は全然話題になってなかったんでしょ。ドッキリがなかったとしても、「夢を追ってる」声優にただの広報担当させるなんてひどいなんて話題になってないんだろ? それがもう明確とも言える証拠。大多数の(声が大きいからそう見えるだけかもしれないが)ファンはもう声優を「声で演技する役者」としてではなく、「声優本人」に興味が移ってるんだよ。完全に芸能人。アニメのスタッフ、裏方として見てはいない。

いやまあ昔から声優を推すってのはあっただろうけど、アニメで声優を知らないやつがファンじゃないという空気は強まってきていると感じる。アニメの~が好きだったら中の人のことも必ず知ってなきゃファンじゃないって流れになってきてるでしょ? たぶんだけどオタク趣味の裾野が広がる時に「お前ニワカだろ」への対抗策として声優が持ち上げられてきた結果じゃないかと思う。

今回の騒動、企画したプロデューサーと声優の事務所のマネージャーで話がついてて本人だけが知らなかったって話だろう。企画側から見れば売れない声優に仕事をやってるぐらいの感覚。テレビと制作側から見たら「代わりはいくらでもいるんだよ?」って話。声優も芸人のようにお前がやらなくても汚れ仕事をやる他のやつはいるんだよ? のダンピング状態。有名じゃない声優は、声の演技以外の部分で名前を売るしかない状況。

もういい加減声オタの大きな声を聞くのはやめろ。実際には声オタが少数だとしても声オタの声がネットでは非常に大きいから結果として声優が前に出てくることを望んでるファンが大多数に見える。別に声優がライブやろうと、そのライブに行こうと構わないけど、声優=アニメという図式は崩せ。まあこれはアイマスにもそろそろ言えることなんだが。アニメのスタッフの一部、黒子という本来の位置に戻ろうよ。

声オタは声が大きいし、リターンもでかいけどこないだの豊崎愛生の騒動にもあったように、万が一炎上した時の悪評の広まる大きさを考えるとリスクが大きいだろ。制作側も考えなおせ。声オタに限らずだけどオタクって粘着質だから数年は2chとかで話題になるたびにコピペが貼られるぞ。今回のだってもう担当したプロデューサーと声優が他の作品出ても、今回の騒動のコピペや話題で占められるのがオチ。悪評やイメージダウンが大きすぎ。

声優嫌いじゃないし、アニメを見る上でファンが勝手に声優に注目するのはいいけど、公式や制作側が声優を推す流れはもう勘弁して下さい。