2011年2月27日日曜日

アニメにストーリーがなくなったのは社会にストーリーがなくなったから?

アニメは国を救うとかの熱い作品の時代→恋愛を描いた恋愛シミュレーション作品→日常の作品という流れがある気がするんだけど、これはオタクが年々打たれ弱くなったり疲れたりで、積極的に何かする作品には感情移入できなくなったからですかね。
22 Dec via TweetDeck
http://twitter.com/#!/TgrR/status/17530808390651904

 というのを前にtwitterで書いたが、もうちょっと書こうと思う。これはreplyでも返したんだけど、社会のストーリーというものに若者が疑うようになったからではないのか、ということ。
(http://twitter.com/#!/TgrR/status/17533813831761920)

 社会のストーリーに若者が疑うようになったってのではこういうニュースもあった。

人生で成功するために重要なのは勤勉さ?それとも幸運やコネ?
http://www.sinkan.jp/news/index_1770.html

 「人生での成功を決めるには、勤勉が重要か、それとも幸運やコネが重要か」
 世界価値観調査にそんな質問項目があるのだが、この質問に対する日本人たちの回答にある変化が見られている。
 勤勉さよりも運・コネが大事だと考える日本人の比率は、 1990年は25.2%、1995年は20.3%だったのに対し、2005年は41.0%と、10年前の約2倍に膨れあがっているのだ。
(略)
その結果、具体的には18歳から25歳の頃、つまり高校や大学を卒業してからしばらくの間に不況を経験するかがその価値観に影響を与えることが分かった。
 日本でいえば、バブル景気が崩壊し、平成不況が始まったのが1991年頃であるとされているから、だいたい40歳以下の人たちは、その上の世代に比べて勤勉さより幸運やコネが重要だと答える人が多いということになる。そして、この世代は同時に、政府による再配分を支持するが、公的な機関に対する信頼をもたない傾向があるという。



 努力してればとか真面目に生きてれば成功する、というストーリーが崩れて信用されなくなって、熱いストーリーが支持されなくった。また次に、草食系男子と言われるように恋愛におけるストーリーが支持されなくなって恋愛物のストーリーが支持されなくなった。ストーリーがなくなり、支持されるのはある意味安心して見れる日常系が多くなった。

 個人的に言わせてもらうとギャグ入ってるようなおもしろい日常系はありなんだけど、けいおんみたいに本当にキャラクターのかわいさのみの日常系って無理なんですよ。これもtwitterで書いたんですが、かわいい女の子にはストーリーが必要なんですよ。あと魅力的な男性キャラクターも。かわいい女の子という素材にストーリーと魅力的な男性キャラクターというスパイスを加えることで一番おいしくなるんですよ。かわいい女の子をただ見るだけなら駅に行ってかわいい女子高生視姦するだけでいいじゃないですか。物語があるからその一成分であるキャラクターが輝くんですよ。ゼロ魔とかルイズとかがただ魔法学園でキャッキャッしてるだけだったらつまんないじゃないですか。
 あとけいおんみたいにかわいい言うだけの萌え豚専用アニメにはストーリーが必須なんすよ。かわいいとかぺろぺろとか醜いじゃないですか。「いや、ストーリー(ギャグ)がおもしろいんだ(キリッ」という建前というか恥じらいというものが欲しいんですよ。

 ストーリーのあるアニメってストーリーがクソだとか叩かれることも多いけど、僕はストーリーがあったほうがよりおもしろい、と思う。
 社会情勢とアニメ作品の作風って結構リンクしてるんじゃないかな。思いつきだけどね。

2011年2月23日水曜日

僕のtwitter利用ポリシー

個人的なtwitterの利用ルール。
いい悪いというよりtwitterをcoolに使いたい。

1.【拡散希望】とか書かれたpostをRetweetはしない。
 まずこれ。うざいんですよ。真偽も分かんない情報もあるし。こないだも○○病院で希少血液型の患者がいて足りないので拡散してください><とか流れてきたし。これってネット初期のチェーンメールレベルでしょ。個人的には【拡散希望】と書かれてるやつは、どんなにいい内容であれチェーンメール扱いしてる。そもそも論でいうと本当に重要な情報はこんなん書かなくても勝手に広がるんですよ。それをわざわざ頼まなきゃ広がらない情報ってのは実は重要じゃない。

2.アカウントのプロテクトは甘え
 全世界に自分のクソみたいなぼやきを垂れ流せるのがtwitterのおもしろさなのにfollowerだけにしか見せないとかつまんなすぎでしょ。仲間と絡むだけならmixiボイスでも使ってろ。友人は親バレしたから鍵かけてるが、甘え。自分もこのゴミみたいなアカウント親にばれたら死ねるが、もう悟りの域に入った。リアルの知人にばれようがもう自分のありのままをつぶやいてんだから、もう仕方ない。嫌われたらそれは縁がなかったってことだ。

3.140字以上は語らない
 よく(続き)とか書いたりしてる人がいるが、あれはcoolじゃない。twitterは140字と限られてるからいいんだよ。限られた中でいかに言いたいことを伝えるからtwitterは美しいんだよ。twitterは俳句や短歌と同じ。俳句や短歌で連続してずっと言ってたら違和感あるだろ。長々と語りたかったらblogで語れよ。

4.twitterはコミュニケーションツールじゃない
 @飛ばしまくって会話してる人がいるが、あれは僕のスタイルじゃない。もともと自分が壁(twitter)に向かってぶつぶつつぶやいて、時たまつぶやきに人と絡むぐらいのゆるい関係でいいんですよ。@が飛んできたからって返す必要もない。だいたいつぶやきって他人と交流するより自分のためだ思ってる。twilogとかで見返すと過去の自分がどうしてたかがわかっておもしろいぞ。まさにライフログ。

5.favは厳選する。
 まあこれはわかれると思うが、僕はfavについては厳選してつけてます。あとから見返したい、と思ったのだけね。favをFacebookのいいね!と同じように使ってる人もいるが、まあこれはスタイルの違いだから別にいいけど、favの少ない人からfavをもらうとより嬉しいです。


思いつくとこだとこんなもんですかね。
まあ、別に他人がtwitterをどう使おうが勝手ですが、僕はこんな感じの自分ルールでtwitter使ってる、ということで。

2011年2月8日火曜日

それでもFacebookが日本で流行ると思う理由

どうやら今日、Facebookで匿名アカウントを中心にBan祭りが起きたらしい。このことを理由として「やっぱりFacebookは日本では流行らない」という意見があるが、僕はそれでもFacebookは日本で流行ると思う。

Facebookは名前の通り、大学の名簿のウェブ版の発展。つまり、現実でのつながりをそのままウェブに移したという形になっている。今のネットにおいて現実のつながりをウェブ上で発展させる、という競合サービスはほとんどない。「ソーシャルネットワーク」という名前の通り、Facebookは現実社会での関係をウェブ上でも再現するサービスだから匿名というのを禁じてる。匿名を許せば、現実社会の再現にならないから。

ここで反論されると思うのが、「『バーチャルネットワーク』というのも現実社会の一部では?」というもの。ヴァーチャルの真の意味は「仮想」ではなくて「現実と同じように動く」という意味だしね。けれども、それは違う。どんなに匿名アカウントでいろんなサービスを利用して一貫性を示そうとも、別のアカウントの存在は否定できない。「ない」を証明するのは悪魔の証明。で、Facebookが現実社会の延長線としてのSNSということを考えると、匿名アカウントはやっぱりFacebook上においては許されない。

まあ、ある意味twitterであったり、はてなやいろいろなblogであったりするサービスというのはinformalな存在なのかな、と。で、Facebookはformalな存在。今回の前の日本人は匿名アカウントでFacebookで楽しみ始めてる、なぜならそっちのほうが楽しいから、というblog記事か何かをみたけど、ある意味それはinformalで気兼ねなくバカなことができるからかな、と。実名推奨のFacebookは現実での息苦しさまで再現してるわけだ(笑)。実際にはpostや写真ごとにどのグループに公開するか決められるから実名アカウントでもアカウントを切り替えるように振る舞えるけどね。

イノベータ―、アーリーアダプター層はずっと匿名で慣れてきたからFacebookにはなじまないかもしれないけど、Facebookはネットに親しくない層に流行りそう。これまでのネットサービスは全て匿名でオタクに占領され続けてきたけど、ネットに親しくない層から見ればそれはネットでもう一人の自分を作るわけで慣れない。けれどもFacebookは現実社会の延長上にあるからある意味ネットに親しくない層にこそ流行る。普段の自分のままでいいから。

ここまでFacebookについて語ってきましたが、フェイスブック 若き天才の野望は読んでないので、そのうち読もうと思います。