2012年4月17日火曜日

「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなあ」

輪るピングドラム、面白かったけどブログにいろいろと書いてなかったので書こうかと。ピングドラムは
「愛の話なんだよ、なんでわかんないかなあ」
に代表されるように愛の話なんだよ、なんでわかんないかな~。このフレーズと宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」がモチーフというかバックにあるということがわかるとすげー話の構造というか流れがわかる。蠍の炎とはなんぞやもわかる。あといつだったかの朝日新聞夕刊に載ってた解説

がすごいわかりやすい。これが20話ぐらいのときに出てきてすごく理解を深めさせてくれたので未だわかんないって人は一読してみて。


小説版と公式ガイドは買って読んだからいろいろと語ろうかと。なんか自分の中でいろいろと思うところはあるけど、まとまってないのでこれを書きつつまとめたい。たぶんこの作品で描かれた愛と愛とはなんぞやは別記事で書いて語る。

ピングドラムはたぶんなかなかうまく言葉に出来ないけど感覚的にわかるって感じの作品なんだよね。だからこそわかんないって言う人がいるのもわかる。背景が荻窪とか丸ノ内線とかの現実の背景をもとにしてるから現実世界の話的に受け取っちゃうけど、これは寓話的な話なんだと割り切るといいのかもしれない。愛の話なんだよ。よく~って何ってのがあるけど、お前桃太郎で桃から人が生まれるわけないじゃんとか言わないでしょ? そんな感じ。論理的ってより感覚的なお話。

で、寓話性と完全に説明しきらなかったってとこがあるから、ピングドラムは見た人同士で話し合ってお互いが感じたことを伝え合って、やっと理解できる感じがある。いもげで見終わったあとに夜が明けるまで語り合ったのはすごくよかった。

この見た人によって違う印象があるってのはピングドラム作中の地下鉄爆破事件のモチーフになってる地下鉄サリン事件をどの年齢で見たのかってのがあると思う。90年代の亡霊に取り憑かれている、亡霊の感覚がわかるかってのが分岐点になっている。僕自身は95年は5歳の幼稚園児だったから何かすごいことが起こっているとしかわからなかったけど、幾原監督と辻村深月の対談のなかで辻村深月は「私たちは亡霊としっかり認識した上でそれを心に刻んでいる」と言っている。たぶん自分より10から20ぐらい年上の人から見るとすごい刺さるようで。


とりあえず取っ掛かりがないので主要キャラクター、晶馬、冠葉、陽毬、苹果について。上の新聞記事にもあるようにこの4人は親の愛を失った子たちなんだよね。というより多蕗とゆりも愛を失った子たちで、主要キャラクターは全員親からの愛を失っている。で、親からの愛を失った子たちの生存戦略の話が晶馬、冠葉、陽毬、苹果を中心とした話で、多蕗とゆりは愛を失った子たちがまた愛を見つけるという話。

晶馬は地下鉄爆破事件の犯人の息子でそれを負い目に思っていて、それである意味他人との関わりに一線を引いている。
「きみは、絶対に僕達を許さないよ。(略) みんなそうだった。みんな僕達から離れていって、僕ら兄妹は、三人だけで生きるしかなかった」

冠葉は夏目家の人間で親がピングフォースに入り、親が死んだことから高倉家に迎えられる。そして、いつからか陽毬のことを絶対に自分が守ると決めていた。
「俺が、お前を救って見せるからな」

陽毬は元々は見捨てられた子でこどもブロイラーに送られたものの、晶馬と運命の果実をわけあったことで高倉家に迎えられる。企鵝の会に傾倒する冠葉を止めるために自分の全てを捧げて止めようとする。
「誰かに見つけてもらえるって、すごく幸せなことだね」

苹果は地下鉄爆破事件の被害者の桃果の妹。事件をきっかけに両親の仲が悪くなったことから自分が桃果になれば、元通りになると思い、桃果の日記通りに「運命」を進めようとする。が、晶馬と出会ったことで自分は自分だということ、晶馬が好きということを知る。
「私は違うよ。私は、晶馬くんたちのこと嫌いになったりしない!」「悲しいことも辛いことも、無駄なんて思わない。それが運命なら、きっと意味があるもの。私は、受け入れて強くなる。だから」「だから、泣かないで」

真砂子は夏目家の人間で冠葉とは元々兄妹だった。が、マリオとともに真砂子は夏目家に戻される。冠葉を高倉家と企鵝の会から取り戻したいと思っている。
「言って。わたくしを大切な妹だと。(略)そうしたら、わたくしは未来永劫、あなたと一緒に呪われる」

多蕗は才能を愛する母親の下に生まれたが、弟が生まれ、自分のほうが才能がないと知ったことで自分は愛されないと思い絶望してしまい、こどもブロイラー行きとなるが桃果に救い出される。
「確認するんだ。桃果が僕に生きることを望んだ意味をね」

ゆりは美しいものしか愛せない芸術家の父親の下に生まれたが、自分は醜いと言われ改造をされていく。が、桃果が運命の乗り換えをしたことで救われる。
「桃果は私の見ている世界を変えてくれた」

まあ見ればわかる通り「ピングドラム」が冠馬から晶馬、晶馬から陽毬と分け与えられていき、最後に陽毬が冠馬に戻すから「輪るピングドラム」ということだよね。

たぶん背景の人間がピクトグラムなのは、背景の人間について自分が興味を払っていないモブだからってことだろう。大抵、主要登場人物が気を払うときはピクトグラムじゃなくなっているし。

なんかすげーぐだぐだしてきたので一旦ここで切って愛について次で語る。

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