2010年2月24日水曜日

死刑議論と冤罪はわけて考えるべき

死刑存置か廃止か、いろいろな議論がある。世界では廃止が主流だとか世論は死刑を支持しているだとか。そして、死刑廃止派の言い分でよくあるのが「冤罪が起きた場合、取り戻しが効かない」というもの。
死刑で命を奪ってしまったら万が一冤罪になったときに命は戻ってこない、だから死刑廃止にしよう。
そういう意見。

けれども、それは間違っている。
死刑存置廃止の議論と冤罪の議論は一緒にすべきではない。
冤罪というのは警察の捜査、また検察の判断など裁判のシステムの問題。冤罪自体があってはならないものなのだから、どう冤罪をなくしていくかということならわかる。

死刑存置か廃止か、この議論の争点は「死という刑罰が存在することが妥当かどうか」ということ。罰金、禁錮、懲役などの刑罰に加えて、「死」という刑罰があるのはいいのかわるいのか。そこを話し合うべき。

例えば、イスラム諸国の中には鞭打ち刑がある国がある。それをこちらからみたら野蛮だとか思うかもしれないけど、彼らは鞭打ち刑が存在するということを支持している。このことと死刑問題は似てると思う。

そして現在日本で死刑というのが存在することは世論から支持されている。
これは死をもって償うという文化が日本にはあるからだと思ってる。究極的な責任の取り方として「死」を選ぶということを日本人は感じている。ほら、死刑の判決文にだって「死をもって償うしかない」ってあるでしょ? この「死をもって償う」文化はいたるところにある。組織において責任をとると言ったら大抵が辞任で、これは組織内での死と見ることができると思う。

自分は正直に言うと死刑は廃止したほうがいいと思ってるけど、この文化がある限り絶対に死刑を廃止するのは無理だと思ってる。
根底的にはこの死刑存置廃止の議論は感情論に近いものだと思う。

こいつは人を殺した。同じ死をもって償わせるしかない。(死刑存置派)
こいつは人を殺した。けれども、ここで死刑という「殺人」をしてしまったら我々も彼と同じレベルになる。(死刑廃止派)
みんなgdgdと死刑に抑止力があるとかないとか冤罪だとか言ってるけど、つまるとこはこの感情なんだよね。そして感情だから大抵議論は平行線になる。
生産性のない議論だな。

死刑廃止派としては、冤罪を理由にしてごねてる人のせいで廃止派が低能に見られているので迷惑。
まあ死刑議論は感情論なので他人が死刑についてどう思おうが構わないけどね。

1 件のコメント:

  1. 冤罪根絶は理想論です。
    冤罪は注意していても起きてしまうし、起こしてしまう。

    逆です。
    死刑廃止によって冤罪救済の道を開くべきなのです。

    感情論に死刑存否の論拠を求めるならば
    私刑を認め、被害者感情救済によって国家の関与を否定すればよろしいでしょう。

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