2010年5月30日日曜日

twitter失望論

twitterを題材にしたドラマも始まり、ここ最近一気にメジャーになった感のあるtwitter。
2008年1月に初めて、身内でワイワイやってた頃からは想像もできないような世界が広がってきた。
が、同時にここまで人々はメディアリテラシーというものがなかったのか、という失望も僕には広がった。

拡散RTという名のデマの拡散。某議員秘書のサノバビッチ発言。殺人などの犯罪予告。
もちろんパーセンテージではこれまでと変わらないのかもしれない。人が増えたからこういうものの絶対数が増えただけかもしれない。
けれども僕は、全世界の人々の脳や考えていることとつながるというtwitterに見ていたことが冷めてしまった。

twitterによって人々は自分自身がメディアとなる可能性を手に入れた。
だがそれは中身のある人が有益な情報を流すことであってだ。
結局のところ何も考えず、流されて、そして失言を言う。
僕たちのつぶやきは世界とつながっているのに。

前に何かでtwitterで自分のつぶやきを全世界に発信するなんてよっぽど自己顕示欲がある人だろ、というの見たことがある。
まさにその通りで、twitterは自分が有名人になったつもりでつぶやくのが一番良い。
インタビューされてるつもりでつぶやく。
今の時代ほど一般人の個人に注目のあたる時代はない。

知り合いは「自分の一挙一動を他人に知られるのが気持ち悪い」と言ってtwitterをやっていない。
これはこれで正しいと思う。自分が有名人になったつもりでプライバシーがなく、影響力があると勘違いしてつぶやく。
つぶやかない、ということも情報になる。

小田島隆は日経ビジネスのコラムで「twitterは失言ツールになりうる」と言った。
まさにその通りで、地位のある人のほんの少しのつぶやきが失言になる。

twitterは人々の考えや脳と直結するツールだと思う。
良くも悪くもtwitterというのはその人の本質が見えてくる。誰にも見てないように勘違いさせるシステムのtwitterだからこそ、その人の心からのつぶやきが見えることが多い。
だとしたら、世の中に失望すべきか。

twitterはアーリーマジョリティーが流入している時期。昔のようには内輪で盛り上がるようにはいかない。
的確に使えば人々の感じていることを得ることが出来るし、うまく使えば人々の愚かさが目につく。
結局は自分のfollowの仕方次第ってことか。

2 件のコメント:

  1. twitterにはまったく魅力を感じないなぁ。

    自分が必要な情報をtwitterから拾うのは大変だと思うし、細切れのつぶやきを自分から発信する気にもなれない。

    返信削除
  2. 僕は制限されているからこそ、表現が洗練されると思っている。
    あと、人のつぶやきを見てると何気ないつぶやき群から人の本質が見えると思っている。

    思っているばっかりで理由になってないけど。

    返信削除