2010年6月29日火曜日

天才による発展

 物理と数学は天才による発展だと思う。よくある理系文系論争において理系が文系を軽視しがちな理由は理系学問が天才による発展で文系が秀才による発展だから。

 ニュートン、アインシュタイン、ラグランジュ、ガウス…と学問において、次々と偉大な結果を残した人の名前が挙がるのは物理と数学だけ。特に文系の学問は名前は挙がるものの、次々と名前が挙がる、というわけではない。

なぜか。

 それは数学と物理は天才による飛躍を繰り返してきたから。なめらかに発展してきたわけではない。発見であったり、新たな概念であったりによるブレイクスルーを繰り返して発展してきた。そのブレイクスルーを起こすたびに起こした人の名前が物理学史であったり数学史に刻まれる。だから他の学問に比べ、学問の発達に尽くした人の名前がたくさん挙がる。

 また、学問の性質によるところもある。理系学問は明確な正解が存在する。自然の中からの発見、それを説明するような理論と、ただ一つに決まることが多い。一方文系学問はこれが正解ということがない。人間的なことを扱うので、これが正解ということがない。何か新しい解釈をしたとしても、解釈の一つとして処理される。だから名前がなかなか残らない。

 僕は理系は天才が切り開き、文系学問は秀才が切り開いてきたものだと思う。数学と物理は、こつこつと積み上げて行ってもあるとき、一気に崩れて新しいものに変わる。コペルニクス的転回、量子力学など。文系学問は歴史系はともかく、文化系や社会系のものはこれまであった概念にさらに別の概念を重ね合わせていく、という感じがする。

積み上げて壊して積み直しの理系、積み上げ続ける文系。

 数学と物理が難しい(と僕が勝手に思ってる)のは、今学んでいることは過去の天才たちが築き上げてきたたからで、それを凡人である僕が同じように学ぶのは大変だということだ。式展開一個取ってみても考えて考え抜いて初めて式展開が理解できることがある。

 何が言いたいかと言うと物理大変です。

4 件のコメント:

  1. 異議申し立て。

    「ニュートン、アインシュタイン、ラグランジュ、ガウス…と学問において、次々と偉大な結果を残した人の名前が挙がるのは物理と数学だけ。特に文系の学問は名前は挙がるものの、次々と名前が挙がる、というわけではない。」

    本当に?
    では挙げていってみよう。


    まずは、ソクラテス、プラトン、アリストテレスに始まり(おそらく)、19,20世紀まで連綿と続く哲学の系譜。
    これにはもちろんデカルトやパスカルやライプニッツも含まれる。
    近代では、デカルトの心身二元論をひっくり返した(といってもいいだろうと思う)メル・ロポンテとか、時間論のハイデガーとか、その昔はやったらしいサルトルとか。
    それこそ次々と名前は上がると思うけど。

    哲学とかぶるけど、歴史学でもヘーゲル、ランケ、マルクス、ウェーバー・・・

    経済学では、トーマス・マン、アダムスミス、リカード、ケインズ、ミル、セン・・・。

    ・・・というようにいわゆる天才たちの名前が上がると思うのだけど。

    それとも彼らは君の定義では天才ではないのだろうか。

    そもそも文系理系という分け方が大学受験的だよね。僕もいまだにその考えを抜け切れないけれど。

    返信削除
  2. んーまあ、天才が文系にいるのはわかる。自分が知らないだけ。

    なんだろなー、人間の英知を超える自然を相手にする物理、というあたりに自分が酔ってるだけかもしれん。

    理系文系が大学受験的な分け方と言うのは同意。

    でもやっぱり、学問は天才の飛躍で繰り返すけど、それが数学物理と哲学経済とはなんか違う気がする。

    返信削除
  3. なんだかんだいっても

    自分が分かるのが まず必要だすんww

    理系 文系に分けた つっても 昔のひとだって

    どっちか さぼった可能性だってあるしね

    まあ 自分の好きなことやって生きていきましょう

    返信削除
  4. 文系にも天才いますよ。いくらでもあげることが可能です。
    モーツァルト、ベートーベン、バッハ、ゲーテ、シラー、シェイクスピア、ピカソ、ダリ、ゴッホ、夏目漱石、ドストエフスキー、トルストイ、ヘミングウェイ、芥川龍之介。主に芸術家ですね。あと政治家では諸葛孔明と織田信長でしょうか。

    返信削除