2012年9月8日土曜日

日本社会における地位の非一貫性について

メディア社会学という講義で書いたレポートですが、我ながらよく書けていると思うので多少文章の接続あたりを手直しして置いておきます。テーマはタイトルの通り。


 日本は地位の非一貫性のみられる社会であり、欧米諸国より日本は非一貫である程度が高いようである。近代社会では建前上は、学歴あるいは能力によって、誰にも上に行くチャンスが開かれているが、学歴が実際は世襲の隠れ蓑に使われるというのがブルデューの指摘である。財産面での地位の非一貫性の理由として相続税で多く持って行かれることで階層再生産の循環は断ち切られ、教育投資で残すということになる。が、終身雇用により大企業の高卒が中小企業の大卒より生涯収入を上回ると言うことがあるように、学歴が終身ストレートにいい就職や収入につながるわけではなく、単にそれらのチャンスが増えるというだけである。日本の地位の非一貫性の大きな原因は、職業や職業上の地位に伴う収入の格差の相対的な少なさが、根本的な原因としては大きいものと思われる。地位の非一貫性のメリットとしては国民統合が図られ、平等意識が広まり、社会の不安定要因が取り除かれる、ということがある。デメリットとしては階級意識、階層意識の欠如、職場、過程と言った場以外での規範、行動様式の曖昧化、平等があるゆえの嫉妬心、目に見えない形での不平等に対する感覚が鈍くなる、などがある。日本の労働者は「労働者階級」として自己意識する傾向が弱く、自分を「中」として規定しようとする。持ち家志向も無理してでも家を持てば「中の下」になれるという思いがあり、また子どもの学歴をよくするということで地位上昇を目指していた。


地位の非一貫性のある社会の、社会としてのメリット、デメリットについて
・メリットについて
世襲で地位が決まるのではなく、その人自身の能力により地位が決まる、つまり能力主義が徹底される。それにより、社会において階層が固定化することへの不満がなくなり、社会が安定すると思われる。また、様々な人が混ざることによりマンネリ化が打破され、新しいイノベーションが起こるのではないだろうか。

・デメリットについて
 階層が固定されないので階層に対する意識が低く、規範が曖昧になる。成金が金にものを言わせている様がよく言われる例である。富裕層においては貧しいものへの再配分をするのが規範であったり、ノーブレス・オブリージュのような「持てる者」の規範であったりが成金には受け継がれない。また、下に位置する人はその地位に甘んじているのはその人の能力によるものだと思われ、下位層に対して軽蔑など社会から疎外される。建前上は誰でも地位を変えることができるはずだが、それを隠れ蓑にして世襲が行われ、支配階級の支配の永続化が図られ、支配の正当化、「持てる者」は絶対的に偉いということが起こりうる。


 日本の地位非一貫性ということにおいては世襲がなされているか否か、ということがポイントとなる。国会議員の世襲については報道されることが多い。世襲となる議員の数は衆議院で現在86人[1]であり、約5分の1は世襲議員となっている。また、企業などでは同族企業で社長・会長を同じ家から出すということがある。世界的企業トヨタでも創業家豊田家から社長が出ている。伝統分野においては世襲は多くなり、歌舞伎が何代目襲名などで有名である。このように世襲は多くの分野で見られている一方、高度成長時代においては地方からの上京し、農家の息子からホワイトカラーとなった例が相次いだ。

 日本の地位が非一貫性である、というのは高度成長時代において地方から上京し、ホワイトカラーとなったという例から考えられているのではないか。江戸時代に士農工商として固定化され、明治維新以降においても貧しさから地位が固定されてきた農民層が、高度成長時代においてホワイトカラーとなった例から日本の地位は非一貫性ということが導かれていると私は考える。高度成長時代においては産業のシステムが大きく変わり、ホワイトカラーが多く求められ、そこに農民層が転向し、結果として地位が大きくシャッフルされたのではないだろうか。


 戦後の日本は地位非一貫であるという幻想を抱き、平等神話を信じてきた。が、それは経済のパイが拡大することによってであったり産業のシステムが変わったりであったりによってであり、それらの時期を過ぎれば貧困の再生産や富める者は子も富める者のように地位が固定されていく。

 社会のシステムが安定している時において世襲は行われやすくなる。同じ能力であってもスタート地点が違えば結果として地位が固定される。400年も平和が続いた江戸時代は究極の世襲社会である。

 逆に社会が変革するときにおいては下克上など完全な実力主義となる。明治維新であったり戦後の復興であったりはまさにその例である。変革している社会においては世襲させようとしている親は旧世代であり、その親によるアドバンテージはほとんどなくなる。

 結局のところ、地位非一貫というのは社会の安定というものがキーになっていると私は考える。社会が安定していれば世襲が行われ、地位が固定されていく。逆に社会が変わっている時であれば、世襲が意味をなさず、地位の非一貫になる。日本が地位の非一貫社会であるという幻想は高度成長が成功したことによる成功神話なのである。

[1] http://www.shugiingiin.com/ses.html

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